今回は蕨市の城跡を訪問しました。旅に出たいですがね。まぁいろいろな事情で(私にとって)近い場所で。
<蕨城跡>
私は埼玉県人ですから良いとして、全国的には蕨市の存在はあまり知られてないような気がします。まず「わらび」と呼んでもらえない場合も多いかと…(そんなことありませんかね?)
ここは人口密度が全国1位(特別区は除きます)。人口そのものは約7万強ですが、全国の市で最も面積が狭く、区町村を含めても8番目の狭さです。
そう説明してしまうとなんか窮屈そうですが、そんなことはありません。ごく普通に開けた街です。市として未開発の地が少なく、結果として人口密度を計算すると日本一になってしまいます。
室町時代の城跡があり、江戸時代は宿場として栄えた歴史ある街なのです。
<蕨城跡説明>
南北朝時代に足利一門の渋川氏によって築城されました。埼玉県指定旧跡。現在の城址公園は本丸跡地です。
冒頭で触れさせて頂きましたが、人口密度1の街。宅地化されてその面影はありません。説明文(蕨市教育委員会)によれば、沼と深田に囲まれた微高地上に築かれ、城の周りに堀と土塁をめぐらした平城だったようです。
■ 戦国期の歴史 ■
戦国時代、ここ蕨の地が扇谷上杉氏の勢力と小田原北条氏の勢力の境界線に位置していたため、双方による奪い合い地となりました。激戦区だったわけですね。やがて1567年の三船山合戦(現在の千葉県君津市での合戦)において、北条氏政に味方して里見氏と戦った際に、当主の渋川義基が死亡。蕨城も廃城となりました。
<枡形虎口?>
入口に城の雰囲気が漂いますが復元です。土塁は遺構であろうと感じたものの、それも復元という情報あり…なんとも言えません。
<水堀のなごり>
水堀跡という池がありますが、整備されすぎで雰囲気はありません。ただ、位置的に堀の跡ということは確かなようです。あまり深く考えず、普通に綺麗な池として楽しむのも手かもしれませんね。
<城址碑>
かなり大きいです。3メートル以上?土塁の上に建っています。土塁は城のなごりなのか、整備されて復元されたものなのかは分かりません。
■ 江戸時代以降 ■
当主・渋川義基が死亡以降、廃城となっていた蕨城は、江戸時代になると徳川家の鷹狩用の御殿として再利用されました。
■つわものどもが夢の跡■
やがて宿場として栄える蕨に残された城跡。目的を変えて、またしばらく活躍し続けたのですね。
-------■ 蕨 城 ■-------
築城年:詳細不明
築城者:渋川義行
城 主:渋川氏
廃城年:詳細不明
(推定1567年頃)
現 況:蕨城址公園
[ 埼玉県蕨市中央 ]
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※蕨まで来たので宿場跡も訪問しました。良かった次の記事も覗いてみて下さい。
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