城跡が学校や役所として使われている例は沢山見てきましたが、ここはなんと「うなぎ屋」さん。旧浦和市の「幸楽園」というお店です(南浦和駅から徒歩20分程度)。以前からその存在は知りつつも、どうも訪問に向けて積極的にはなれず・・・。しかし訪問にあたり改めて調べてみれば、立派な歴史のあった城跡。いまの姿がどうであれ「つわものどもが夢の跡」だと思えます。
城は源頼朝に仕えた武将・佐々木盛綱によって築城されたと伝わります(平安時代末期)。
佐々木氏といえば、六角氏や京極氏と同じ近江源氏の流れを汲む一族。盛綱も頼朝の元で重要な役割を果たしました。ここ領ヶ谷城は、挙兵する頼朝に従って盛綱が軍兵を集めるために築いた砦と推定されています。
最初の画像の通り、「うなぎ屋城址」は高台に位置しています。目の前は低地と川。今でこそ整備された川ですが、昔は湿地が広がっていたのでしよう。遮るものがないので、遠くまで見渡せます。
<藤右衛門川>
荒川水系芝川の支流。とうえもんがわ(私は長らくフジエモンと読んでました)。流れる地区によっては谷田川と呼ばれています。「うなぎ屋城址」からも良く見えます(整備されている関係で藤右衛門川の川面は見えませんが…)。
<周辺の様子>
湿地だったなごりを感じます。
領ヶ谷城跡(うなぎ屋さん)及び周辺には、昭和半ば頃までは土塁があったとのこと。地形と目の前の湿地だけでも城跡らしさが漂いますので、これで土塁まで残っていたらかなり説得力があっと思います。
<うなぎ屋さんの看板>
とてもユニークな城跡巡りとなりました。
あと、埼玉県民にとっては当たり前の話ですが「浦和のうなぎ」は有名。中山道浦和宿時代からの名物です。
■訪問:領ヶ谷城
(川魚割烹 幸楽園)
[埼玉県さいたま市南区太田窪]※
--------補 足--------
※地名のダイタクボはダイダラボッチに由来します。池とか窪んでいる地形を、巨人・ダイダラボッチの足跡だとする伝説ですね。まぁ巨人の存在は別として、地名の由来から、その地形が想像できます。今回の城跡は、そんな低地に面した高台に位置していました。
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ところで、うなぎはいただいたのですか?・笑