江戸城の城門跡を訪ねました。
<四谷見附>
四谷の見附跡です。現在は石垣のみが残っています。
見附は見張り番を置いている場所のことです。よく江戸城三十六見附と言われますが、四谷見附もそのうちの一つ。まぁ実際には城の出入り口は三十六以上あったようですがね。とにかく、ここ四谷も重要な城門が設置されていた場所です。
工事を担当したのは毛利家。輝元の長男秀就(ひでなり)のお仕事です。関ケ原では徳川を敵に回した毛利家ですが、徐々に関係を修復。秀就の正室は、家康の次男・結城秀康の娘です。
四ツ谷門の痕跡はこの石垣のみ。いわゆる枡形(ますがた)になっていた当時を勝手に想像し、そのなごりを勝手に楽しみます。
これだけを見に来たのか?いやいや、江戸城の遺構は見附の石垣だけではありません。周辺を含めて、城のなごりが漂っています。ではちょっと散歩してみますかね。
<土塁の上>
ここは見附跡北側の土塁の上。散歩道になっています。街から隔離され、いかにも城跡っぽい雰囲気です。
<土塁跡>
ここは冒頭の見附跡付近から南側へ向かう道。上智大学沿いの通り(ソフィア通り)です。土塁の向こう側はもう外濠で、この道は濠の内側なので千代田区紀尾井町。濠の向こう側は新宿区四谷になります。
<真田濠> 四谷濠
江戸城の外濠跡です。ここは真田濠と呼ばれています。濠などの整備は、全国の有力大名に割り振られましたが、工事を請け負った家の名が、そのまま濠の名となっているのはここだけです。真田幸村の兄である信之(と仲間達)のお仕事の跡。埋め立てられ、現在は上智大学のグラウンドです。今でも見ごたえがありますが、かつてはもっともっと深い濠でした。
昔と違って、最近では雑誌やネット等で古地図が簡単に入手できます。参考にしながら、外濠沿いを散策するのも結構面白いものです。更に南へ進めば今度は弁慶堀も楽しめますが、今回はここまで。この付近は桜の名所でもあります。その頃また来ますかね。
■訪問:四谷見附
[東京都千代田区六番町]
四ッ谷駅のすぐそば。駅そのものが区境
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2017年03月22日
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