つわものどもが夢の跡
とても有名な江戸城の門を見学してきました。
■ 江戸城外桜田門 ■
<桜田門>さくらだもん
いわゆる「桜田門外の変」で広く世間に知られている名前ですね。その実物。重要文化財です。
正式には外桜田門といいます。更に奥の通称「桔梗門(ききょうもん)」が内桜田門。まぁ普通に「桜田門」といった場合は、この「外桜田門」のことです。
<現地案内板>
[説明文]
『現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外桝形という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました。建築されたのは寛永年間(1624〜44)とされ、現存する門は寛文三年(1663)に再建された門がもとになっています。大正十二年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。』
[後半の一部省略]
だ、そうです。
かつては小田原街道の始点として「小田原口」とも呼ばれていたとのこと。徳川以前、江戸城は小田原北条氏の支配下でしたからね。家康の城となり、この出入り口には枡形構造の門が設けられました。
ところで
説明文にある「二重構造」とか「外桝形」ってどういうことでしょうか。
■ 桜田門の構造 ■
<高麗門>こうらいもん
最初の門です。死角を減らすために屋根は小さめ。ここを突破するとどうなるでしょうか。
<枡形>ますがた
門をくぐると「四角い広場」のようなスペースに出ます(手前の部分。撮影が濠と石垣メインとなってしまってすみません)。ここが枡形。マスのように四角い形だからそう呼びます。
さて、なかへ入ったはいいが目の前は水堀だし、他は壁、次の門は閉ざされています。これが「枡形」の恐ろしいところ。飛び込んだはいいが動きは制限され、多方向から城兵に狙い撃ちにされる空間。罠と言っても過言ではない空間です。
攻め手も理解していると思うので、決死の覚悟で飛び込むしかありません。あるいは、門の造りを見て不利益を見積もり、もうちょっと攻め安い侵入口を探すかですね。
<現地地図>
赤い丸が現在位置になります。半島のように濠に向かって飛び出ている場所。つまり橋を渡り、ようやくたどり着ける場所です。その入り口の門をくぐって最初に目に飛び込んできた濠は、江戸城の巨大な水濠の一部。つまり濠の中の出島みたいな所に、この桜田門がある。まぁそんな感じになります。
<渡櫓門>わたりやぐらもん
さて、次の門が行く手を拒みます。ご覧の通りの門。実際には門は閉ざされていると思って見て下さい。立ち往生している間に、容赦なく上から狙われますね。門の上にこうした櫓を設けるのが櫓門(やぐらもん)。二階門ともいいます。「渡り」ですが、石垣との間を渡すように門櫓を設ける場合に使う言葉です。
最初の門。そしてこの頑丈そうな二つ目の門。つまり枡形の表と内側に築かれる二つの門ですね。このセットメニューが「枡形門」です。二重構造の門です。ここ桜田門に限らず、最初の門は低層でシンプル、二つ目の門は櫓門となっているのが一般的です。
さて、現在のこの位置。最初の門はくぐったものの、まだ城の敷地の「外」という状態です。このように、城の外側に設ける枡形を「外枡形」といいます。逆に枡形が城内の敷地の一部となっている場合は内枡形です。まぁ役割は同じ。構造上の分類ですね。
<現地案内板>
周辺を含めるとこんな構造になります。
一つの門を突破するだけでも大変なこと。行く手にはまだまだ難所が待ち受けます。攻める側にとって、いかに厄介かを感じてもらえれば嬉しいです。
守りを固めるとは
その厄介さを造り出すことに他なりません。
以上です。
拙い説明にお付き合い頂きありがとうございました。
■訪問:桜田門(外桜田門)
[東京都千代田区皇居外苑]1
お城巡りランキング
2017年12月12日
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