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記事
仏教を教えると非難攻撃を受ける理由 [2020/03/21 12:00]
真実の仏教を明らかにすると非難攻撃を受けます。
なぜなら、仏教では、お金や財産では幸せになれませんよ、
と教えるからです。
これは本当なのですが、煩悩でできている私たちには、
否定されたように感じます。
それで非難攻撃が起きるのです。
親鸞聖人はご和讃にこういわれています。
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり
五濁というのは、末法の時期に表れる5つの濁りです。
末法の時期と..
阿弥陀仏に救われる前と後の違い [2018/08/21 18:00]
浄土真宗、親鸞聖人の教えを正確に、 日本全国津々浦々に伝えられた 蓮如上人はこう教えられています。 「うれしさを昔は袖に包みけり、今宵は身にも余りぬるかな」 昔は袖に包むような嬉しさしかなかった。 昔というのは、阿弥陀如来に救われる前です。 その「喜び」とはどういうものか。 「正雑の分別もなく」とは 「自力他力の分別がなく」ということ。 そして念仏さえ称えていれば 助かると思っていた「喜び」だったといわれています。 &nb..
仏教書に説かれた本当の生きる意味 [2018/05/31 18:00]
人は何のために生きるのでしょうか? ほとんどの人は、働く意味も生きる意味もわからず 虚無感に満ちた不条理な人生を送っています。 ところが仏教では、生きているときに、 変わらない幸せになれると教えられています。 それが本当の生きる意味です。 たとえば、日本で最も読まれている仏教の本である 歎異抄にはこうあります。 「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて往生をば遂ぐるなり」と信じて、 「念仏申さん」と思いたつ心の発るとき、 ..
歎異抄の念仏者は無碍の一道なり [2018/05/28 13:00]
親鸞聖人は、難度海の人生を明るく渡す大きな船があるから、 早く乗れよと教えておられます。 その大きな船に乗ると絶対の幸福になれます。 絶対の幸福については、 歎異抄に、 「念仏者は無碍の一道なり」(歎異抄) と教えられています。 無碍の一道とは、 一切が碍りにならなくなった世界のことです。 摂取不捨の利益と同じ世界です。 では、念仏者とはどのような人をいうのでしょうか。 ただ念仏を称えている人のことなのでしょ..
続かない世界で煩悩のまま幸せになる方法 [2018/04/25 12:00]
歎異抄の最後に 「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、 万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、 ただ念仏のみぞまことにて在します。」 というお言葉があります。 火のついた家のように不安な無常の世界に、 煩悩具足の凡夫が生きているので、 よろづのこと、すべて空事、たわごと、真実、あることなし、 お金も財産も、地位も名誉も全部崩れていきます。 儚い夢になっていきます。 まことがないんだということです..
浄土真宗の会合の目的 [2018/04/21 12:00]
蓮如上人が、浄土真宗の会合の目的を 教えられているところがあります。 しかるに当流において、毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、 当流とは、親鸞聖人の教えられた浄土真宗です。 親鸞聖人の教えを聞き求めて毎月集まってきている、 それは何のためか。 在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、 一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、 在家とは、出家ではなく、私たちのことです。 ..
生きる意味がわからず一生を終わる人への言葉 [2018/04/16 18:00]
御文章1帖目12通に、 「信心の沙汰をせよ」 と教えて下さっている 蓮如上人のお言葉があります。 しかるに当流において毎月の会合の由来は、何のようぞなれば、 在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、 一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、 一月に一度なりともせめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて 「わが信心はひとの信心は如何あるらん」 という信心沙汰をすべき用の会合なるを 近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあい..
阿弥陀仏の心を知る方法 [2018/03/18 12:30]
阿弥陀仏の本願を読んでわからない点が4つあります。 @どうすれば助かるのかわからぬ A自力か他力かわからぬ B信心か念仏かわからぬ C若不生者の生れるの意味がわからぬ これらのものが本願成就文に腰をすえてよむとみんなわかります。 親鸞聖人の教えは 本願成就文に腰を据えています。 教行信証は成就文の解説書です。 親鸞聖人の教えは成就文以外にはありません。 蓮如上人の御文章も本願成就文以外にありません。..
仏教講座でどうあるべきか [2018/01/31 12:00]
蓮如上人の御文章1帖目12通 年来超勝寺。 その最後にこうあります。 せめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて 「わが信心はひとの信心は如何あるらん」 という信心沙汰をすべき用の会合なるを 近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあいだ 言語道断あさましき次第なり。 所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。 一言でいうと、あなたが仏教を聞きにこられたということは、 仏教の説かれているところで、信心の沙汰..
親鸞聖人の教えられたこと [2017/12/25 12:00]
信心決定に最も大事なことは、三重廃立です。 これは浄土真宗を開かれた親鸞聖人の主著・教行信証に書かれている内容です。 三重廃立とは、三つの廃立ということです。 廃立とは、 廃はすてもの、 立はひろいもの、信ずべきものです。 三つというのは、 一つ目は内外廃立 二つ目は聖浄廃立 三つ目は真仮廃立です。 この二番目の聖浄廃立は、 仏教の中にも聖道門の仏教と浄土門の仏教と二つありますが、 聖道門の仏教(浄土..
日蓮宗 [2017/11/11 12:00]
日蓮宗の「南無妙法蓮華経」は、 「妙法蓮華経」というのは「法華経」の正式名称です。 これに日蓮が勝手に「南無」とつけてしまったんです。 ですので「南無妙法蓮華経」というのは お釈迦さまの経典には一回も説かれていない、 日蓮の造語です。 もともと「法華経」というのは自力の出世本懐経ともいわれますので、 非常に大切なお経ですが、 この「南無妙法蓮華経」をいかにもヒゲ文字チックに書いたものがあって、 それを拝めば「病気治し」「借金無し」という..
南無阿弥陀仏の2つの働き [2017/11/01 12:00]
親鸞聖人の主著の 「教行信証」というのは往相回向について、真実の教、行、信、証がある。 娑婆から極楽浄土へ行くにはどうすればいいのか、それには真実の教行信証がある。 極楽浄土から娑婆へ帰ってくるのは、いったらそうなるのだから。 どうやって極楽浄土へ往くのかが問題。 しかれば大悲の願船に乗じて、 光明の広海に浮かびぬれば、 至徳の風ぜ静かに、衆禍の波転ず。 すなわち無明の闇を破し、 速に無量光明土に至りて、 大般..
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