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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年01月31日

仏教講座でどうあるべきか

蓮如上人の御文章1帖目12通 年来超勝寺。
その最後にこうあります。

 

せめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて
「わが信心はひとの信心は如何あるらん」
という信心沙汰をすべき用の会合なるを
近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあいだ
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。

 

一言でいうと、あなたが仏教を聞きにこられたということは、
仏教の説かれているところで、信心の沙汰をするのが目的、
そのために集まっている、ということです。

 

「道場」とは、仏教講座の会場です。
「念仏修行」とは思い切り念仏を称えるのではなく、

真実の仏法を聞き求めている人のことです。


生きる手段で一生懸命の人の中から、
本当の生きる目的を明らかにされた
仏教の説かれている場所に集まってきたならば、
我が信心は人の信心は、と沙汰をします。

 

蓮如上人が一人の人に対して話しているのではない事は明確です。
集まった一人一人に信心沙汰をすべきといわれています。
どういうように分かったということを自分の唇で一人一人が話をします。
それが目的です。

 

ところが最近はどうもそれがない。

 

近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざる


自分で仏法を話す、一対一で話をする機会がありません。
口から先に生まれた、顔には口しかない。
そういう人に話しなさい、ではありません。
話せないなら、話せばいいのではない。
エレガントに話をするのがいいというのではありません。


「えーと・・」

「ほら・・」と、

ポツポツと出てくるようなものでも構いません。
もし分からなければ、よく分かっている人から、聞けばいいのです。
しかし、最近はどうもそれがない、けしからん。

 

言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。

 

これからは、会合、仏教講座の会場に来たら、

自分の唇で話をしてください、と教えられています。

 

あなたの立場で考えてみますと、ただ聞いているだけでは面白くありません。

 

私一人が話をすると多く内の一人になってしまいます。
あなたが、話をすると、あなたが主役です。
一人一人が話を受け取る事になります。

 

だから、多いに話をしましょう。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法
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