共通して褒め称える仏があります。
それは、仏方の本師本仏といわれる阿弥陀如来という仏です。
浄土真宗の親鸞聖人は、大宇宙のすべての仏が
阿弥陀仏を本師本仏と褒める理由を
『ご和讃』に分かりやすく教えられています。
無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり(浄土和讃)
「無明の闇を破するゆえ」というのは、
心の闇を破る力があるから、ということで、
その心の闇を破る力は「智慧」というお力なので、
それで智慧光仏と名付けるのだと言われています。
智慧イコール光明。
これは仏教の決まりみたいなものです。
阿弥陀仏は智慧の光の仏だと。
「一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまえり」
心の闇を破る力があるのは阿弥陀仏だけだから
一切の仏方が褒め称えられるのだと言われています。
阿弥陀仏の建てられた本願を褒め称えない仏はありません。
大宇宙のすべての尊い方々が褒められる。
「一切諸仏三乗衆」とは、声聞衆、縁覚衆、菩薩衆のことをいいます。
一切の諸仏方、またその下の声聞、縁覚、菩薩。
そういう方々も阿弥陀仏のことを褒め称えられている。
それはなぜかというと、自分たちにはない力を
阿弥陀仏はお持ちだからです。
弥陀の本願を褒め称えない諸仏、菩薩はありません。
ちなみに声聞、縁覚、菩薩とは何かというと、
仏教で十界という言葉があります。
六道というのは、
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界のこと。
これにあと、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界。
これを十界といいます。
六道は死んだ後だけではなく、
この世の人間の心の状態を言われることがある。
この世も常に心は六道輪廻しているんですね。
また声聞、縁覚、菩薩も人間の心と言えます。
文字通り言うなら、声を聞いて悟る人、縁で悟る人。
ですが今日の末法では、声聞も縁覚も菩薩も
ずっと高い悟りの人たちだから縁がない。
一切諸仏三乗衆とは、
実際に仏の声を聞いて悟る人、
縁にふれて悟る人、
末法の現代人の誰よりも、ずっと高い悟りの人です。
しかし十界は、私たちの心ということで言われます。
どういう状態かというと、
まず地獄界は、泣くに泣からぬ逆境に立ち、
人を呪い、恨んでいるのが地獄の心。
こういう状態では、なかなか仏法は聞けません。
次に餓鬼界。
我は鬼なりとあるように、あっても欲しい、なければないでまだ欲しい、
食欲、色欲、あってもなくても欲しい。
財があっても財がなくても餓鬼です。
食欲、色欲、名誉欲、常に満たされないのが餓鬼の心。
次が畜生の心。
恐怖心が強く、戦々恐々としているのが畜生の心。
犬とか猫でも休めない。
ぴくっと耳を動かしたりする。
動物は本能のままに生きている。
次に修羅の心。
己の意志に背く者を心の中でたたき合い、殺し合っている心。
そして人間界。
これは、他人に迷惑をかけず、因果の道理を信じて
正しく生きようとするのが人間界の心。
因果の道理を信じて、正しく生きようとする。
これが人間の心。
努力しましょう。
相手の立場に立った生活を心がけましょう。
我利我利亡者ではダメですよ。
最後に天上界。
これは、物質や健康に恵まれて、花見遊山、
一時我を忘れているのが天上の心。
花を見たり、山で遊んだり楽しい。
一時の間、我を忘れています。
楽しいときは我を忘れています。
心の闇を持っていてもそれを忘れて、楽しんでいる状態。
声聞界というのは、苦集滅道の四聖諦の道理を弁え
向上の道を進んでいく。
苦集滅道の四聖諦の道理を弁えなさい。
向上の道に進んでいくのが声聞の心。
どういうことかというと、声聞とは声を聞いてとあるように
声を聞いて悟ろうとする。
私たちなら仏の教えを聞く。
苦集滅道とは四聖諦のこと。
四つの聖なる真理。
この苦しみ悩みの原因と結果。
まず苦諦とは、人生は苦なり、という真理。
どうして苦しみが起きてくるのか、苦悩の原因は何なのか
というのは集諦。
ではどうしたら幸せになれるのか。
滅諦とは幸せな世界。
道諦は解決の道。
これが四聖諦です。
苦集滅道の四聖諦の道理を弁えなければならない。
向上の道を進むのが声聞の心。
だから常に仏法を聞かせていただいて
向上の道を進まなければなりません。
縁覚の心とは、世の中の無常を悟り魂の解決を急ぐことです。
この縁覚の心、私たちも持たなければなりませんね。
縁覚とは縁にふれて悟る人。
あなたに無常を教えてくれる人はたくさんあります。
だから失恋も、そういう意味ではいいご縁です。
ふられるというのは、世の中の無常を教えてくれている説法だと受け取れば。
世の中の無常を悟って、ますますこの道しかないと進むんですね。
菩薩の心というのは、身を捨てて利他の行をせずにおれない心。
これも私たち持たなければならない心です。
自利利他の道が菩薩道です。
自分の身を捨ててでも、我利我利であってはならない。
利他に徹するままが自利になります。
他に尽くす行。
身を捨てて、利他の行を行わずにおれないのが菩薩の行。
菩薩の心と仏の心は、共に身を捨てて、利他の行をせずにおれない。
我利我利亡者は地獄行きとなります。
私たちの心は常に揺れ動いていますが、天台宗でいわれる
「十界互具」と言えないこともない。
ですから、あなたも約束を破ったり、他人に迷惑をかけない。
こういう心があって進めるということです。
この阿弥陀仏の本願によってのみ、心の闇を破っていただけます。
そういうお力は、阿弥陀仏にしかありません。
だから、菩薩や声聞や縁覚といった
私たちよりもずっと優れた方々も
共に嘆誉して、弥陀の本願一つを教えてくださっている
と言われているご和讃です。
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