2024年12月18日
人工知能研究の第一人者も認めた仏教の深い教え
最近、AIが飛躍的に進歩しています。
AIというのは人工知能のことですね。
人工知能の研究と言えば、アメリカのマサチューセッツ工科大学が有名ですが、
人工的に人間の知能に近いものを作るという、その研究の第一人者が
マービンミンスキー教授です。
この人は、機械でもって人間の知能にどれだけ近づけるか、
人間の知能とは一体何か、
人間が何かを考えたり、何かを思ったりするのは
一体どういうことなのかを研究しました。
人工知能の研究というのは、つまり人間の心の研究とも言えます。
そのマービンミンスキー教授が世界のあらゆる哲学書、宗教書を読んで
人間の心の仕組みを知ろうとした時に、
「古代ギリシアの哲学書もキリスト教も何の役にも立たなかった。
人間の心を知る上で最も役立ったのは、仏教のお経だった。
人間の心の仕組みを最も精細に教えてくれたのは、釈迦という人物だ」
このようにマービンミンスキー教授が言っています。
あるいは、心の研究をするのが心理学ですが、
心理学という学問は、まだ始まってから100年ほど。
ジークムント・フロイトという人がその出発点です。
フロイトが『夢判断』という本を出したのは、1900年です。
この本は、もの凄く画期的な本で、
人間の心というのは、そんな単純なものではない。
2重の構造を持っていて、意識の下にもう一つ、無意識というのがある。
例えていうと、太平洋という無意識の中に、浮かんでいる島が意識。
こういう表現をしています。
無意識という大海の上に浮かぶ島、それが意識。
あるいは、ちょっと変わった表現の仕方では、
無意識という岩盤の上に、意識という豆腐が乗っている、と言っています。
私たちが本当の自分と思っていたのは意識ではなく、どうも無意識。
またリビドーだと言っています。
これは性的欲求、性的な欲望ということで使われています。
夢判断というのは、フロイトが抱えた多くの精神的な病気を持つ人や心の病を訴える人が、
どういう夢を見るのか。
その人達の話を聞くうちに、彼らの夢の中に悩みの原因が表れたというものです。
それは例えば、小さな時に受けた心の傷、これをトラウマと言いますが、
特に強烈なのは性的な傷で、それがその人を傷付けているということなんですね。
本人は忘れたくて仕舞い込むけれど、それが夢の中でフッとあらわれて
自分を苦しめる元になるということを言っています。
その苦しみの元になる本質、これがリビドーだと言っているんですね。
ところが、フロイトがこういう学説を発表すると
ヨーロッパの学者が猛反発しました。
何てことを言うのだ。
馬鹿なこと言うな。
人間は神に作られたのだ。
神は神聖で絶対。
私たちは神によって作られたのだ。
神が粘土をこねあわせて人間を作って息を吹き込む。
その神の吐いた息が、私たちの生命だという。
神から与えられた、そんな神聖なる私たちの精神が、
リビドーということで性的欲求。
これはやばいだろうと。
人間はそれまで神によって作られた聖なる存在だったのが、
性なる存在になってしまった。
これはいかんということで、当時の学者から総すかんを食ったんですね。
ところが、このフロイトに大賛成した人がいました。
画家や詩人といった人たちです。
そういう人たちは、理性よりも感性で人間を捉えるので、
「フロイト、お前の言うとおりだ。自分にそういう心あるもん」
と賛成したんですね。
というわけで、フロイトは学者としては猛反発されたけれど
隠れた支持者が沢山いました。
フロイトの後、ユングという人がさらに一歩進めて、
フロイト先生、確かに心が二重構造だと言ったのはなるほど。
でも無意識がリビドー、性的欲求というのは言い過ぎ。
私たちの心はもっと複雑極まる。
リビドーは変容する、色んなものに形を変える。
固定されたものではない。
さらに言っているのは、私たちの抱えている無意識は
過去数世紀に渡る意識の集積体だと。
数百年に渡っている私たちの意識の集積過去だと言っているんですね。
となると、肉体が数百年も生きている人はないので、
肉体とは別なものということになります。
その後、フランスのジャック・ラカンという人が
蔵のような心だと言っています。
ここまで来ると、だいぶ仏教の阿頼耶識に近いですね。
それが今、深層心理と言われて盛んに研究されています。
こんな風に、人工知能の分野でも心理学の分野でも
ヨーロッパ的なものから東洋の思想に
大きな学問の流れがそうなりつつあるんです。
20世紀に発達した学問で、分子生物学というのがあります。
遺伝子の研究ですね。
2000年に入ってから、人間の遺伝情報、ヒトゲノムがすべて解析され、
それは、アメリカの民間会社が解析したのですが、
その解析したものは、全人類の共通の財産だから
一企業が独占するものではないからと言って、独占できなくなった。
ヒトゲノムは、当初10万くらいあるといわれていたのが、
実際は35,000しかなかった。
回虫のゲノムが、何と20,000。
そうすると回虫と人間のゲノムの違いは、わずか15,000。
これは、多くのキリスト教者にとっては凄くショック。
人間も本質的には動物と一緒。
また、ショウジョウバエの遺伝子と人間の遺伝子の65%が同じ。
遺伝子的には変わらない。
これもヨーロッパの学者には大ショック。
こんな結果は信じられない。
人間は最も神に近いのではないのか、他の動物達を支配する存在。
旧約聖書の創世記に、神が人間を創った時の様子が書かれています。
神が人間を創って、自分の意志を人間にこう言っています。
「産めよ、増えよ、地に満てよ、そして大地を支配せよ。
他の一切の動物を支配しなさい」
これが、神が人間に与えた意志だと聖書に書かれているんですね。
つまり、人間こそが他の動植物とは違う別格の生命体というのが原始生物学です。
仏教では、生命は同根、根っこは同じだと言います。
これが東洋的な考え方です。
全くその通りだということが学問によって明らかになったんですね。
そして、決定的にヨーロッパの学者たちの信念が崩れたのが1972年。
エディンバラ大学の2人の教授が、人間の細胞の中に
「アポトーシス」というのを発見しました。
これは、自殺する遺伝子ということです。
つまり、私たちの細胞は自殺するようにできている、
細胞そのものが自ら死に向かっていると。
そういう細胞を「アポトーシス」と名付けたんですね。
これは全く神の意志に反する発見です。
自殺は、キリスト教では神に対する反逆で、自殺は悪です。
ところが、私たちの細胞には自殺が組み込まれている。
これは彼らにとってみれば、天動説が地動説になったような大ショックです。
それまでの信念が大地から崩れるような発見なんですね。
日本の私たちからすれば、
「ああそうか、やっぱり諸行無常だ」
と受け入れられますが、彼らはどうしても受け入れられない。
だから、あらゆる学問から見ても
どうもヨーロッパの考え方、キリスト教の考え方はおかしい、
やっぱり私たちの発想自体がおかしかったのだと気づかざるを得なかった。
それが哲学の世界でも、今から100年程前に、ニーチェという人が
今日の思想界を予言するように、
「神は死せり」
と言ったんですね。
ニーチェが亡くなったのは1900年。
ちょうど19世紀最後の年に亡くなりました。
いまだにニーチェの思想に打ち勝つ思想は、ヨーロッパにはありません。
これはどういう意味かというと、東洋に目を向ける以外にはないということ。
お釈迦様は、すでに2600年前に、人類の到達した最も深い思想といわれる
仏教を明らかにされています。
なので、人間とはどういうものかを知るには、
仏教に勝るものはないということなんですね。
AIというのは人工知能のことですね。
人工知能の研究と言えば、アメリカのマサチューセッツ工科大学が有名ですが、
人工的に人間の知能に近いものを作るという、その研究の第一人者が
マービンミンスキー教授です。
この人は、機械でもって人間の知能にどれだけ近づけるか、
人間の知能とは一体何か、
人間が何かを考えたり、何かを思ったりするのは
一体どういうことなのかを研究しました。
人工知能の研究というのは、つまり人間の心の研究とも言えます。
そのマービンミンスキー教授が世界のあらゆる哲学書、宗教書を読んで
人間の心の仕組みを知ろうとした時に、
「古代ギリシアの哲学書もキリスト教も何の役にも立たなかった。
人間の心を知る上で最も役立ったのは、仏教のお経だった。
人間の心の仕組みを最も精細に教えてくれたのは、釈迦という人物だ」
このようにマービンミンスキー教授が言っています。
あるいは、心の研究をするのが心理学ですが、
心理学という学問は、まだ始まってから100年ほど。
ジークムント・フロイトという人がその出発点です。
フロイトが『夢判断』という本を出したのは、1900年です。
この本は、もの凄く画期的な本で、
人間の心というのは、そんな単純なものではない。
2重の構造を持っていて、意識の下にもう一つ、無意識というのがある。
例えていうと、太平洋という無意識の中に、浮かんでいる島が意識。
こういう表現をしています。
無意識という大海の上に浮かぶ島、それが意識。
あるいは、ちょっと変わった表現の仕方では、
無意識という岩盤の上に、意識という豆腐が乗っている、と言っています。
私たちが本当の自分と思っていたのは意識ではなく、どうも無意識。
またリビドーだと言っています。
これは性的欲求、性的な欲望ということで使われています。
夢判断というのは、フロイトが抱えた多くの精神的な病気を持つ人や心の病を訴える人が、
どういう夢を見るのか。
その人達の話を聞くうちに、彼らの夢の中に悩みの原因が表れたというものです。
それは例えば、小さな時に受けた心の傷、これをトラウマと言いますが、
特に強烈なのは性的な傷で、それがその人を傷付けているということなんですね。
本人は忘れたくて仕舞い込むけれど、それが夢の中でフッとあらわれて
自分を苦しめる元になるということを言っています。
その苦しみの元になる本質、これがリビドーだと言っているんですね。
ところが、フロイトがこういう学説を発表すると
ヨーロッパの学者が猛反発しました。
何てことを言うのだ。
馬鹿なこと言うな。
人間は神に作られたのだ。
神は神聖で絶対。
私たちは神によって作られたのだ。
神が粘土をこねあわせて人間を作って息を吹き込む。
その神の吐いた息が、私たちの生命だという。
神から与えられた、そんな神聖なる私たちの精神が、
リビドーということで性的欲求。
これはやばいだろうと。
人間はそれまで神によって作られた聖なる存在だったのが、
性なる存在になってしまった。
これはいかんということで、当時の学者から総すかんを食ったんですね。
ところが、このフロイトに大賛成した人がいました。
画家や詩人といった人たちです。
そういう人たちは、理性よりも感性で人間を捉えるので、
「フロイト、お前の言うとおりだ。自分にそういう心あるもん」
と賛成したんですね。
というわけで、フロイトは学者としては猛反発されたけれど
隠れた支持者が沢山いました。
フロイトの後、ユングという人がさらに一歩進めて、
フロイト先生、確かに心が二重構造だと言ったのはなるほど。
でも無意識がリビドー、性的欲求というのは言い過ぎ。
私たちの心はもっと複雑極まる。
リビドーは変容する、色んなものに形を変える。
固定されたものではない。
さらに言っているのは、私たちの抱えている無意識は
過去数世紀に渡る意識の集積体だと。
数百年に渡っている私たちの意識の集積過去だと言っているんですね。
となると、肉体が数百年も生きている人はないので、
肉体とは別なものということになります。
その後、フランスのジャック・ラカンという人が
蔵のような心だと言っています。
ここまで来ると、だいぶ仏教の阿頼耶識に近いですね。
それが今、深層心理と言われて盛んに研究されています。
こんな風に、人工知能の分野でも心理学の分野でも
ヨーロッパ的なものから東洋の思想に
大きな学問の流れがそうなりつつあるんです。
20世紀に発達した学問で、分子生物学というのがあります。
遺伝子の研究ですね。
2000年に入ってから、人間の遺伝情報、ヒトゲノムがすべて解析され、
それは、アメリカの民間会社が解析したのですが、
その解析したものは、全人類の共通の財産だから
一企業が独占するものではないからと言って、独占できなくなった。
ヒトゲノムは、当初10万くらいあるといわれていたのが、
実際は35,000しかなかった。
回虫のゲノムが、何と20,000。
そうすると回虫と人間のゲノムの違いは、わずか15,000。
これは、多くのキリスト教者にとっては凄くショック。
人間も本質的には動物と一緒。
また、ショウジョウバエの遺伝子と人間の遺伝子の65%が同じ。
遺伝子的には変わらない。
これもヨーロッパの学者には大ショック。
こんな結果は信じられない。
人間は最も神に近いのではないのか、他の動物達を支配する存在。
旧約聖書の創世記に、神が人間を創った時の様子が書かれています。
神が人間を創って、自分の意志を人間にこう言っています。
「産めよ、増えよ、地に満てよ、そして大地を支配せよ。
他の一切の動物を支配しなさい」
これが、神が人間に与えた意志だと聖書に書かれているんですね。
つまり、人間こそが他の動植物とは違う別格の生命体というのが原始生物学です。
仏教では、生命は同根、根っこは同じだと言います。
これが東洋的な考え方です。
全くその通りだということが学問によって明らかになったんですね。
そして、決定的にヨーロッパの学者たちの信念が崩れたのが1972年。
エディンバラ大学の2人の教授が、人間の細胞の中に
「アポトーシス」というのを発見しました。
これは、自殺する遺伝子ということです。
つまり、私たちの細胞は自殺するようにできている、
細胞そのものが自ら死に向かっていると。
そういう細胞を「アポトーシス」と名付けたんですね。
これは全く神の意志に反する発見です。
自殺は、キリスト教では神に対する反逆で、自殺は悪です。
ところが、私たちの細胞には自殺が組み込まれている。
これは彼らにとってみれば、天動説が地動説になったような大ショックです。
それまでの信念が大地から崩れるような発見なんですね。
日本の私たちからすれば、
「ああそうか、やっぱり諸行無常だ」
と受け入れられますが、彼らはどうしても受け入れられない。
だから、あらゆる学問から見ても
どうもヨーロッパの考え方、キリスト教の考え方はおかしい、
やっぱり私たちの発想自体がおかしかったのだと気づかざるを得なかった。
それが哲学の世界でも、今から100年程前に、ニーチェという人が
今日の思想界を予言するように、
「神は死せり」
と言ったんですね。
ニーチェが亡くなったのは1900年。
ちょうど19世紀最後の年に亡くなりました。
いまだにニーチェの思想に打ち勝つ思想は、ヨーロッパにはありません。
これはどういう意味かというと、東洋に目を向ける以外にはないということ。
お釈迦様は、すでに2600年前に、人類の到達した最も深い思想といわれる
仏教を明らかにされています。
なので、人間とはどういうものかを知るには、
仏教に勝るものはないということなんですね。
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