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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2024年11月23日

父母恩重経に説かれた親の心と親の恩

今回は「親の恩」の話。

「恩」というのは、原因を知る心、
今自分が幸せな原因を知る、
今私がこんなに幸せなのはあの人のおかげなのだなと
原因を知って感謝する心をいいます。

人生の目的を果たす上で、凄く大切な心、
それがこの「恩」ということだし、「感謝の心」です。

こういう言葉もあります。

「この世で最も不幸な人は、感謝の心のない人である」

その人がどれくらい幸せかは、
どれだけ恩を知り、恩を感じ、恩に報いる気持ちが強いかで決まる
といわれます。

お金持ちの家に生まれて、大きなお屋敷に住み、育ちもよくて、
自分の車、それもベンツに乗っていて、苦労知らずの御曹司でも、
口さえ開けば、「あんな親は親じゃない」と
怨み呪いの人生を送っている人もいます。

逆に、お父さんを若くして亡くし、お母さん1人で一生懸命育ててくれた、
お世辞にも裕福とはいえない生活をしている人もいる。
仕送りも他の人の半分くらいしかないけれど、それでも
自分に期待して、頑張って勉強して来いと、大学に行かせてくれたと、
親に感謝して、毎日をイキイキと過ごしている人。
そのお母さんから、わずか千円のお小遣いをもらって、
もの凄く喜んで、感謝している。

それだと、やっぱり後の人の方が幸せそう。

このように、その人がどれだけ幸せかは、
物質的にどのくらい恵まれているかとは全く別で、
どのくらい満足しているか、どのくらい感謝の気持ちがあるかによって決まる
といわれるんですね。

たまに
「何で恩に報いなきゃいけないんですか。
 それって強制ですか?」
という人があります。

でも本当に幸せな人は、恩に報いるままが幸せ。
私のためにこんなことをしてくれた、その人に恩返しをするまんまが
自分の幸せとなるんです。

知恩、感恩、報恩。
これが人格の基準といわれます。

物知りだったり、お金をたくさん持っている人が偉い
というわけでもないんですね。

この逆は、忘恩、背恩、逆恩。
こうなってはいけません。

「恩を知らざる者は、畜生にも劣る」
といわれます。

ところが、最近は「恩」ということが、あまり教えられていません。

女人禁制で有名な大和の大峰山に「西の覗き」という行があります。
命綱で支えられた体を、絶壁から千尋の谷底へ突き出されるというもの。

その状態で「親孝行するか」と言われると、
どんな男性でも、その恐ろしさに、
「親孝行します!」と叫ぶそう。

「麻雀は?」と聞かれれば、
「やめます」

「パチンコは?」
「やめます」

やがて、無事に引き上げられるのですが、
ある子供が、この行をした時に
「親孝行するか?」と聞かれて、
「親孝行って何ですか?」と尋ねたらしい。

また、学校で、先生が「親の恩って分かる人〜?」と尋ねました。
1人の生徒が
「親のオンはお父さんで、親のメンはお母さんです」
と答えたそう。

どうもオンドリ、メンドリと間違っている。。
学校や家庭教育で「親の恩」「親孝行」などが欠けていることが分かります。

それで、家庭内暴力や、親殺しが増えている。
これは悲しいことです。

私たちは1人では生きられません。
漢字でも、人という字は支え合っている。
有情・非情の恩を受けているんですね。
有情というのは、命あるもので、
非情というのは、天地とか自然、空気、大地、植物
そういうものがなければ生きていけない。

そんな中で、一番身近な恩が親の恩です。
お釈迦様が、この親の恩について、
父母恩重経』というお経で詳しく教えられています。

以前、『バガボンド』という漫画が売れましたが、
その原作の吉川英治の小説『宮本武蔵』にも、この経典が出てきます。

武蔵の旧友、本位伝又八の母親が江戸のならず者たちに、この経典を読ませると、
いつもはケンカばかりしている荒くれ者たちが
涙を流して、それぞれの母親を想う。
「俺、涙が出てきちまったよ」と。

この経典によって、今までどれだけの「ならず者」が
真人間に生まれ変わったか。
「父母」26箇所「父」1箇所「母」33箇所。
この経典の眼目は「親の大恩十種」、
親から受けた、極まりのない恩を10種類教えられています。

1つ目が「懐胎守護(かいたいしゅご)の恩」

胎教のためにと、いい音楽を聞いたり、タバコやめたり。
あと、酸っぱいものが食べたくなるのは、自分の骨を溶かして
子供に与えるためなんだとか。
養分をすべて子供にとられる。

そういうのを表した孔子の言葉がこちら。

「心に邪なことを思わず、
 耳に淫声を聞かず、
 目に邪色を見ず、
 形正しからざれば食らわず」(孔子)

生まれる前から子供のことを考えて、
色々心をかけてくれるご恩ですね。

2つ目は、「臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩」

出産に臨んで、苦しみを甘んじて受けてくだされるご恩です。
この苦しみ、ハンパじゃないらしい。
青竹を持たせると、バキッと折ってしまうくらいといわれます。

陣痛の陣は、陣地の陣であり、陣羽織の陣、陣構えの陣です。
陣というのは、戦場のこと。
命のやりとりをする戦場におもむく気持ちで、ということ。

お釈迦様のお母さん、マーヤー夫人は出産後に亡くなりました。
それだけ危険もあるということです。

水戸光圀公は自分の誕生日に質素なものを食べたそう。
それは、自分の誕生日というのは、自分の母親が大変な思いをした日だからだとか。
「諸人よ 思い知れかし 己が身の誕生の日は 母苦難の日」

このように言われると、確かにそうだなぁと思いますね。

3つ目は、「生子忘憂(しょうじぼうゆう)の恩」

子供が生まれると、それまでの苦労を忘れてくだされるご恩です。

言ってみれば、自分を死ぬほど苦しめた張本人が生まれてきたことになるので、
「よくも苦しめてくれたな。ホント死ぬかと思った。たっぷりお礼をしてやる」
なんて親はいません。
それまでの苦労をみんな忘れて、喜んでくれる。
ちょうど貧しい人がダイヤをもらったような、そんな喜びに包まれるんですね。

こんな歌もあります。
「銀(しろがね)も金(こがね)も玉も何せむに
 まされる宝子にしかめやも」(万葉の歌人)

最高の宝を得た喜びで、それまでの苦しみを忘れてくだされるご恩は
一通りや二通りではありません。

4つ目は、「乳哺養育(にゅうほよういく)の恩」

母乳を与えて養い育ててくだされたご恩です。

母乳をコップに入れておくと、薄いピンク色になります。
母親の血液でできているからなんですね。
まさに血肉を分けて育ててくださっている。

母親の愛情がなければ、赤ちゃんは1日として生きていけません。
泣き声だけで、お腹がすいたとか、オムツを交換して欲しいとかが分かる。
これは、父親では難しいらしい。

だんだん大きくなってくると、ストーブにも近づいたり、刃物にも手を出す。
何でも口に入れる。
親の監視がなければケガだらけで、五体満足ではいられません。

5つ目は、「廻乾就湿(えかんしゅうしつ)の恩」

乾いているところにまわし、湿ったところに就いてくだされるご恩です。

これは何のことかというと、おねしょのことですね。
夢を見て、失敗する。
どんなに叱られるかと思ったけれど、反省している時には叱られない。
そして、濡れてしまったところには自分が寝て、
乾いているところに子供を寝かせてくださるご恩です。

6つ目は、「洗潅不浄(せんかんふじょう)の恩」

最近は紙オムツですが、昔は布のオムツで、みんな手洗いしていたそうです。
そういう汚れたものも、嫌な顔せず、洗ってくだされたご恩です。
親が寝たきりになって、そういうお世話も必要になった時は恩返しのチャンス。

7つ目は、「嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩」

美味しくないところは自分が食べて、
美味しいところを食べさせてくだされたご恩です。

小学生の作文で「お母さんは魚の骨が好きだ」というのがあります。

私4人家族ですが、魚を焼くと、一つはコゲがつき過ぎたものができる。
それを母親が食べていた。
5歳くらいの時「お母さん、コゲたのばかり食べてたら癌になるよ」
と言ったのを覚えています。

失敗作は自分が食べていたということです。

吉川英治は幼少のころ、父親が私書偽造横領罪で監獄。
母に連れられて父親に面会に行く時、
電車賃がないため、家から30キロを歩いて行った。

途中空腹で、そばや、うどんを食べるのだけれど、
2杯たのむお金がなくて、いつもかけうどん一杯だけ。
うどんを英治に食べさせ、母親は残り汁を吸ったといいます。
自分は苦しい目にあっても、子供を幸せにしたいと念じてくれるんですね。

火事場に取り残された子供を救うために、焼け死んだ親もいます。
飛行機事故で、子供が1人だけ生き残った。
親が子供を抱え込み、焼かれずに済んだんですね。
母親の背中は真っ黒に焼けていたといいます。

8つ目は、「為造悪業(いぞうあくごう)の恩」

『レ・ミゼラブル』の主人公、ジャン・ヴァルジャンは、
子供のためにパンを盗んで、19年間投獄されていました。

悪いことと分かっていても、子供のために、
あえて悪いことをしてくだされるご恩です。

9つ目は、「遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩」

子供が遠くに行けば行くほど、親は子供のことを思ってくださる。
普通は、去るもの日々に疎しで忘れ去られますが、親は違います。

子供が離れたところで困っていた時、電話がかかってきた。
出てみると母親だった。
なぜか胸騒ぎがして心配になり、電話してきたとのこと。
そんなこともあります。

「ああ悲し、母は私を思いがち、私は母を忘れがちとは」
という歌もあります。

「木の上に立って見る親心」ともいわれます。
大きな志を抱いて故郷を離れる子供、船で出かけたわけですが、
その時、港で船が見えなくなると、山に登って見送った。
それでも見えなくなると、木株にのぼって見えなくなるまで見送ってくださる。

逆に、帰ってくると知らせがあると、
早い時間から木株の上に乗って、船を待ってくださるということで、
「木の上に立って見る親心」といわれるんですね。

「忘られぬ 父と母との ましませば 遠く学ぶも 便り忘るな」
両親がいるのなら、メールとか手紙とか送りましょう、ということです。

最後は、「究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩」

究竟というのは、最後までということ、
憐は、あわれみ、
愍は、いつくしむ
ということです。
子供が何歳になっても、心配してくだされるご恩です。

こんな漫画もありました。
デパートで、
「お子さんが迷子にならぬよう、お母さんはお子さんの手をしっかり握ってください」
というアナウンスが流れると、
おばあちゃんが、もう50も過ぎた息子の手をギュッと握るというもの。
印象深い漫画でした。

「ソロモン王の裁判」というのもあります。
1人の迷子に2人の母親が名乗り出ました。
決定的証拠がなかった。
それで王様は、
「ならば致し方ない、子供を真っ二つに切り、双方に分け与えよ」
と言った。
まさに刀が子供の頭上に振り下ろされた時、
思わず知らず、一方の母親が子供に覆いかぶさった。
身を挺して可愛いわが子を守ろうとした。
賢明なソロモン王は、その母親に子供を返したという話。

他の生き物でもそう。
長崎の捕鯨心得帳には「まず子鯨を打て」と書かれてあるそうです。
子鯨が捕まると、必ず親鯨も戻ってくるからだというのです。
自分が死ぬかもしれないのに、鯨は子供を助けに戻ってくるのです。

すべての人は、このような恩を受けているんですね。
海よりも深く、山よりも高いといわれるこのご恩に、
どうしたら報いることができるのでしょうか。

お土産とかお金もいいですが、まずメールや手紙。
ありがとう」という感謝の言葉が大切。
実家に住んでいるなら、ちょっとしたお手伝いとかでもいいですね。
感謝の心を伝えることが大事です。

そして一番の親孝行は、仏教を伝えることだと
お釈迦様は教えられています。

なぜかというと、お土産やお金の喜びは続きませんが、
仏教に説かれる本当の生きる目的を達成した喜びは
決して色あせることも、薄れることもないからです。

まず『父母恩重経』で親の恩をよく知って、
親の恩を感じ、少しでも親孝行ができるように
心がけていきましょう。
posted by 陽葵 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践
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