2021年07月15日
人間と尺取虫の共通点
曇鸞大師の言葉で
蚇蠖(しゃっかく)の循環するがごとし(浄土論註)
という言葉がある。
尺カクというのは尺取虫のこと。
人間のことを尺取り虫のようだといわれている。
ちなみに尺取虫というのは線の上を外れることができない。
たとえば火鉢の上に尺取虫がはって歩いていると
同じ所をぐるぐる回ってやがて火鉢に落ちて行く。
人間からみると愚かだけど、
尺取り虫は、まっすぐ進んでいるつもり。
しかし人間も、
この似たようなことを繰り返しながら
ぐるぐるぐるぐる同じところをまわっている。
これを流転輪廻という。
この流転輪廻というのは車の輪が
同じところをぐるぐるぐるぐる回るようなもの。
この流転輪廻という同じ言葉は仏教の学問の言葉でいうと無始無終という。
これを現代語でいうと無限ということ。
同じことを限りなく繰り返す。
『教行信証』という本の中には生死輪転といわれている。
「還来生死輪転家」(教行信証)
生死というのは私たちの苦しみのこと。
輪転というのは流転輪廻と同じこと。
無限ということ。
家というのは外にでても必ず戻ってくるのだから離れられないところ。
還来というのは波が寄せては返すように無限の往復運動を繰り返す。
大学に入るときは大学に入ることを目標としているのだが、
そのあと会社に入らなくてはならない、出世、そのあと、賄賂。
そのあたりはばれないように
自分だけやってません
と言わなくてはならななくて。
次々やらなくてはならないことがいっぱいやってくる。
とぼとぼとぼとぼ同じ道を歩き続けるようなもの。
そういった人生の生き様だということ。
ほとんどの人生は実際そうだということ。
どうも思い通りにならなくて似たようなことを繰り返していく。
今日がとても悲しくて、明日もしもないていても♪
これは還来生死輪転家ということ。
浜崎あゆみが
そんな日々もあったねと、笑える日がくるだろう♪
というのは、
この「だろう」というのはmaybe、perhaps
ということ。
「明日があるさ、明日があるさ」とウルフルズがうたっているが、
そこから一歩離れ出る。
流転輪廻を離れ出る。
これを出離という。
幸せというのは未来に求めるが近づくと過去に遠ざかってしまうといった人が
あるけれど、
幸せを求めながら幸せになれない原因はなぜなのか?
浜崎あゆみの説によるとこれはどうしてなのか?
どこに原因があるのか?
不自然な時代のせいだよとといっている。
首相のせいなのか?
これはちょっとあるかも。
ほんとうに私は苦悩の根元を解決して、
心からよかったといえる決勝点はどこなのか?
昔はあんなちっちゃなことでくよくよしてたけど、
こんな幸せになるためにうまれてきたんだと喜べる決勝点があるんだ。
その幸せになるためにうまれてきたんだといわれてきた古典がある。
たとえばその例をだすと、
『歎異抄』という本がある。
高校のときに古典か何かの教科書で出てきたかもしれないけど。
一番多くの人によまれている古典。
その中に摂取不捨の利益と書いてある。
どうして歎異抄が多くの人によまれてきたかというと
文章が綺麗だということもある。
一番は本当の生きる意味が書かれている。
何にも代わり映えのしないそういうものではなくって。
絶対にいろあせたりしない、かわらないそういう幸せになるために
生まれてきたんだよとかいてある。
ドイツの哲学者ハイデッガーは『歎異抄』を読んで
日本人は何をやっているんだ、自分の周りにいる日本人は
こういうことを全然おしえてくれなかった。
日本の人はもっとこういうこと学んで世界に紹介してほしいといっている。
蚇蠖(しゃっかく)の循環するがごとし(浄土論註)
という言葉がある。
尺カクというのは尺取虫のこと。
人間のことを尺取り虫のようだといわれている。
ちなみに尺取虫というのは線の上を外れることができない。
たとえば火鉢の上に尺取虫がはって歩いていると
同じ所をぐるぐる回ってやがて火鉢に落ちて行く。
人間からみると愚かだけど、
尺取り虫は、まっすぐ進んでいるつもり。
しかし人間も、
この似たようなことを繰り返しながら
ぐるぐるぐるぐる同じところをまわっている。
これを流転輪廻という。
この流転輪廻というのは車の輪が
同じところをぐるぐるぐるぐる回るようなもの。
この流転輪廻という同じ言葉は仏教の学問の言葉でいうと無始無終という。
これを現代語でいうと無限ということ。
同じことを限りなく繰り返す。
『教行信証』という本の中には生死輪転といわれている。
「還来生死輪転家」(教行信証)
生死というのは私たちの苦しみのこと。
輪転というのは流転輪廻と同じこと。
無限ということ。
家というのは外にでても必ず戻ってくるのだから離れられないところ。
還来というのは波が寄せては返すように無限の往復運動を繰り返す。
大学に入るときは大学に入ることを目標としているのだが、
そのあと会社に入らなくてはならない、出世、そのあと、賄賂。
そのあたりはばれないように
自分だけやってません
と言わなくてはならななくて。
次々やらなくてはならないことがいっぱいやってくる。
とぼとぼとぼとぼ同じ道を歩き続けるようなもの。
そういった人生の生き様だということ。
ほとんどの人生は実際そうだということ。
どうも思い通りにならなくて似たようなことを繰り返していく。
今日がとても悲しくて、明日もしもないていても♪
これは還来生死輪転家ということ。
浜崎あゆみが
そんな日々もあったねと、笑える日がくるだろう♪
というのは、
この「だろう」というのはmaybe、perhaps
ということ。
「明日があるさ、明日があるさ」とウルフルズがうたっているが、
そこから一歩離れ出る。
流転輪廻を離れ出る。
これを出離という。
幸せというのは未来に求めるが近づくと過去に遠ざかってしまうといった人が
あるけれど、
幸せを求めながら幸せになれない原因はなぜなのか?
浜崎あゆみの説によるとこれはどうしてなのか?
どこに原因があるのか?
不自然な時代のせいだよとといっている。
首相のせいなのか?
これはちょっとあるかも。
ほんとうに私は苦悩の根元を解決して、
心からよかったといえる決勝点はどこなのか?
昔はあんなちっちゃなことでくよくよしてたけど、
こんな幸せになるためにうまれてきたんだと喜べる決勝点があるんだ。
その幸せになるためにうまれてきたんだといわれてきた古典がある。
たとえばその例をだすと、
『歎異抄』という本がある。
高校のときに古典か何かの教科書で出てきたかもしれないけど。
一番多くの人によまれている古典。
その中に摂取不捨の利益と書いてある。
どうして歎異抄が多くの人によまれてきたかというと
文章が綺麗だということもある。
一番は本当の生きる意味が書かれている。
何にも代わり映えのしないそういうものではなくって。
絶対にいろあせたりしない、かわらないそういう幸せになるために
生まれてきたんだよとかいてある。
ドイツの哲学者ハイデッガーは『歎異抄』を読んで
日本人は何をやっているんだ、自分の周りにいる日本人は
こういうことを全然おしえてくれなかった。
日本の人はもっとこういうこと学んで世界に紹介してほしいといっている。
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