そんな風に思っている人は多いと思いますが、これは完全に間違いです。
ある仏教の先生が
「私はよく、若い頃、臨終説法というのを進んでさせていただいていた」
と言われていました。
臨終説法というのは、今日死ぬかもしれないという人が、
今生最後に仏法を聞かせてくださいと言って、その人に法を説くことです。
聞く方がド真剣なので、話す方もド真剣だそうです。
次の日は、半日何もできなかったとか。
その先生が、こんな話をされていました。
「私がある公民館で説法していた時、聞きに来ていた人で、
涙をボロボロ流されながら話を聞いている人がいた。大の大人が……
よほど何かあったのかと思った」
昼休みにその人が控え室にやって来て、
「私には14才の息子がいるんです」
その子は日本脳炎にかかって、更に悪化して脳膜炎になっていて、
今日死んでも、明日死んでもおかしくない状態になっていたそうです。
そして、有名な布教使が来たら連れていくということになっていた。
ちょうど都合がついたので、ご説法が終わった後、
その人の家へ行くことになった。
息子さんと、両親が同席して、部屋に通されたそうです。
まず、子供さんの顔を見て、白目だったので驚かれたそうで。
病気で目が見えなくなって、耳も遠くなっていて。
自分も時間がないし、この子もそんなに長い間聞くこともできない。
お互い時間がないということで、相手の質問に答えることにされました。
一切経でも、問答形式というのは非常に多いんですね。
それで先生が聞かれたところ、
「僕、死んだらどこ行くの?」
と胸を押さえて聞いたそうです。
「暗い、暗い」と。
それにどう答えればいいか、
初めて仏法を聞く子供にどう話したらいいか、
先生も悩まれたそうですが、因果の道理の話をされました。
次に
「じゃあ、君は今までどんな種まきをしてきたかな?」
と聞かれたそうです。
「ザリガニを捕まえてきて、足にひもをつけて遊んだ。
蛙を捕まえてきて、握りつぶして殺した」など、
子供なりの罪悪で、悪いことをしてきたと。
そういうことばかり言い出したんですね。
ベルグソンという人は
「臨終に悪い種まきばかりが思い出されてくる」
と言ったそうです。
先生はどうおっしゃったかというと、
「悪い種まきをしてきたなら、因果の道理によって
悪い世界に行かなければならない。
死ねば地獄である」と。
すると、向かいで聞いていたお母さんが先生の手をつかんで
別の部屋に連れて行かれたそうです。
「先生、なんて事言われるんですか。
地獄に堕ちるなんて言わないでください。
念仏称えたら極楽に往けると言ってあげてください」
先生も、そのまま言うというのは
その子の立場になれば、つらいことだというのも分かるし、
お母さんの気持ちも分かるということで譲歩されました。
それで
「念仏称えたら極楽に往けるから、今から念仏称えなさい」
と言われた。
するとその子は、3回称えたんですね。
するとお母さんが、
「もう少し多く称えるように言ってもらえませんか」
と言うので、そのように繰り返して、合計30回くらい称えた。
そうすると、お母さんが御法礼を持ってこられた。
これを受け取ったら、親鸞聖人に申し訳ないと思い、
受け取られないでいると、
その子が「あの先生、行ってしまったの?」と聞いた。
それを聞いたお父さんが、
「まだだよ。何でも聞きたいこと聞きなさい」と。
そうするとまた
「僕、死んだらどこ行くの?暗い、暗い」
と聞いたそうです。
先生は、ご両親の顔色も見られず、この子の仏縁を念じて、
ひたすら真実の仏法をお説きになられたそうです。
結局、その子がどうなったかはお聞きしていませんが。
因果の道理は曲げられません。
罪悪深重の私たちのすがたも曲げられません。
無常迅速の機も曲げられません。
そこから導き出されるのは、後生は一大事ということです。
これを「従苦入苦 従冥入冥」といわれます。
苦より苦に入り、冥より冥に入るということです。
人は、己の造った過去の悪い種まきによって、
悪因悪果、次の世界に沈むのだと。
『大無量寿経』には、このように教えられています。
________________________________
大命将に終わらんとして悔懼交至る。
悪人は悪を行じて、苦より苦に入り、冥より冥に入る。
(中略)
其の中に展転し、世々劫を累ねて出づる期有ること無し、
解脱を得難し。
痛言う可らず。
(大無量寿経)
________________________________
真っ暗な後生に泣くんですね。
一生懸命叫んでいるんだけれども、少しも信用してくれる人がいない
という、お釈迦様の嘆きです。
大変な一大事があると、ハッキリ説いておられますね。
『観無量寿経』にもあります。
_______________________________
悪業を以ての故に応に地獄に堕すべし。
命終らんと欲する時、地獄の衆火一時に倶に至らん。
(観無量寿経)
_______________________________
釈尊がハッキリ説いておられます。
現在苦しい人は、死ねば当然苦しい世界に行かなければなりません。
未来永劫の浮沈は現在にかかっているんです。
現在、闇を断ち切る。
これが大切なんです。
大切なのは、正しい教えを真剣に聞くということです。
先生は、急いで急がず、急がずに急げとおっしゃっています。
しっかりとした教学を身につけて、聴聞させて頂くのが大事です。
間違ったことを言う人がやって来ても、自分の頭できちんと理解していれば、
間違っていると分かります。
間違った教えを信じて、おかしな考えでいたら、
とんでもない方向に行ってしまいますので。
仏教というのは、必ず分かる教えです。
そして、ハッキリするところがありますので、
そこまで仏教を真剣に聞かなければならないんですね。
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