2020年04月07日
輪廻転生から救われた親鸞聖人の喜び
親鸞聖人は主著の『教行信証』の最初にこういわれています。
噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし。
遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。
若しまたこの廻疑網に覆蔽せられなば更りてまた昿劫を逕歴せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
(教行信証総序)
噫、というのは救われた驚きの言葉です。
「弘誓の強縁は多生にも値いがたく」とは、
弘誓の強縁にあいたい。
多生にもあえないものにあえた、ということです。
弘誓というのは、広い誓い。
強縁というのは、悪しか作れない私達がどうして絶対の幸福になれるのか。
阿弥陀仏の本願は強い縁だからです。
因縁果の道理。
悪ばかりしか作っていないのが私達だが
阿弥陀仏の本願によって、絶対の幸福に救われるのです。
あうといってもいろいろあります。
宝くじ50年買い続けてあたったら、噫となります。
何十年も会えなかった家族に会えたとなったら、噫となります。
30年50年どころではありません。
多生のあいだ輪廻転生しても会えないことに今あえた、ということです。
億劫の間、輪廻転生してもえられないものが、今えられた、ということです。
「かえりてまた曠劫を逕歴せん」というのも、
死んだらまた永遠に六道輪廻するということです。
だから、今ですよ。
地震や台風で多くの人が亡くなっている。
急がなければなりませんよ。
信心決定しないまま、死んだら、後生は一大事ですよ。
弘誓の強縁に救われるまで聞きなさいと言われています。
誠なるかなや。
摂取不捨の真言、必ず絶対の幸福にするという阿弥陀仏のお約束。
超世希有の正法、阿弥陀仏の本願のこと。
阿弥陀如来の本願まことだから、聞思して遅慮することなかれ。
聞思というのは聴聞です。
聞く一つで救われるから、聞いて聞いて聞きぬきなさいよと言われています。
遅慮とは、計らう疑う。本当に救われるのか、間違いないのですよ。
計らいを破って救う本願、誠だから。
救われずに死んだら、後生は一大事。
常に今回が最後と思って真剣に聞かせて頂きましょう。
噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし。
遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。
若しまたこの廻疑網に覆蔽せられなば更りてまた昿劫を逕歴せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
(教行信証総序)
噫、というのは救われた驚きの言葉です。
「弘誓の強縁は多生にも値いがたく」とは、
弘誓の強縁にあいたい。
多生にもあえないものにあえた、ということです。
弘誓というのは、広い誓い。
強縁というのは、悪しか作れない私達がどうして絶対の幸福になれるのか。
阿弥陀仏の本願は強い縁だからです。
因縁果の道理。
悪ばかりしか作っていないのが私達だが
阿弥陀仏の本願によって、絶対の幸福に救われるのです。
あうといってもいろいろあります。
宝くじ50年買い続けてあたったら、噫となります。
何十年も会えなかった家族に会えたとなったら、噫となります。
30年50年どころではありません。
多生のあいだ輪廻転生しても会えないことに今あえた、ということです。
億劫の間、輪廻転生してもえられないものが、今えられた、ということです。
「かえりてまた曠劫を逕歴せん」というのも、
死んだらまた永遠に六道輪廻するということです。
だから、今ですよ。
地震や台風で多くの人が亡くなっている。
急がなければなりませんよ。
信心決定しないまま、死んだら、後生は一大事ですよ。
弘誓の強縁に救われるまで聞きなさいと言われています。
誠なるかなや。
摂取不捨の真言、必ず絶対の幸福にするという阿弥陀仏のお約束。
超世希有の正法、阿弥陀仏の本願のこと。
阿弥陀如来の本願まことだから、聞思して遅慮することなかれ。
聞思というのは聴聞です。
聞く一つで救われるから、聞いて聞いて聞きぬきなさいよと言われています。
遅慮とは、計らう疑う。本当に救われるのか、間違いないのですよ。
計らいを破って救う本願、誠だから。
救われずに死んだら、後生は一大事。
常に今回が最後と思って真剣に聞かせて頂きましょう。
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