親鸞聖人は無常の風に驚いて9歳の春に出家せられてより、
20年間の求道は名誉を得る為でもなければ
地位を得る為でもありませんでした。
未来永劫の地獄を逃れて絶対の幸福を得んがためでした。
これ一つ忘れたら世間ごとになって仏教にはなりません。
親鸞聖人は後生の一大事に立たれて、
後生の一大事の解決が
あなたが求めるべき問題にすべきことなんですよ
と私たちに教えられています。
どういうような名誉、
どういうような地位につくかでなくて、
後生の一大事を解決することですよ、
これ一つしなかったら仏教ではないんですよ、
と教えられています。
私達は煩悩具足の凡夫といわれて
目的を見失うのが自性といわれます。
石は水に沈むのが自性、
からすは黒いが自性、
どれだけ洗剤ぶっ掛けて洗っても白くなりません。
私たちも仏教講座に来る時は
今日こそは後生の一大事の解決をするぞ
という気持ちになるかもしれませんが、
知らず知らずのうちに他の方向に行ってしまいます。
何回仏教を聞く目的を確認しても
確認し過ぎるということはありません。
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