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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2020年04月10日

仏縁深い人の気をつけるべき点

仏縁深い人は、早く救われたいという気持ちがあります。

すると、どこかに、救われた人がいて、体験を話している。
それを聞いたい、知りたいという心があるはずです。

聞きたいという心がある。
ところが、体験が正しい親鸞聖人の教えなのかというと、
それは違います。

代表的な間違いが2つあります。
1つは十劫安心です。
十劫安心という異安心は、すでに救われているというものです。
または、救われていることに気づいたのが信心だといいます。

2つには三業安心です。
三業安心は、こうやって救われたなどいいます。
心と口と身体の3つの行いで、他力の信心を獲得できるというものです。
これは異安心です。

そういう人たちは、簡単に信心獲得できると思っているので、
獲信は、多い人がいいのではと言います。
しかも、それも本当かどうか、確かめたらいいのではといいます。

このままでいいんですか、というのは疑情です。
「そのまま」
というのは知識がいうことでない、
阿弥陀如来が言われることで、全く違います。

知識が認可するのは、他力信心ではなく、人工信心です。

こういうことを聞きたい、
これが早く救われるのではという心は、
聞法心でもありますが、人工信心に迷いやすい
諸刃の剣です。

善知識はどう言われているでしょうか。
体験談はまったく言われていません。

親鸞聖人は、教行信証
「雑行を棄てて本願に帰す」
とだけ書かれています。
後はありません。

覚如上人、蓮如上人は書かれていません。

最初はどうして書かれていないのか、
書かれていないのがおかしいと
自分の考えを正しいと思っています。

次第に、自分は間違っていることが知らされて来ます。
仏教の尊さを分かっていくとそうなります。
すると善知識のお言葉を聞き、それに従うようになります。


posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心
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