「独生独死独去独来」という言葉があるそうです。
これはあのブッダのいわれたことだそうです。
1人で生まれてきたんだから、
1人で死んでいかねばならない。
1人で去っていくんだから、
1人でやってくる。
生まれてから死ぬまで一人ぼっちという事らしいです。
そんな事ないよ、私には友達も両親もいるじゃない。
どこが1人なのという人もいるかもしれませんが、
心が一人ぼっちという事らしいです。
考えてみれば、そういう風に感じる事ってあるんですよね。
友人に勇気を振り絞って、悩みを打ち明けてみた。
すると、何でそんな事悩んでんの、
って深刻さも分かってもらえなかった時とか、
趣味の合うはずの彼女と、お互いに好きな映画を見にいった。
ところが、自分が大感動したシーンに彼女はまったく興味無し。
そんな時に、分かり合うって難しいなー、って感じます。
分かり合える、といっても、
結局、分かる所までしか分かって
もらえない感じがするんだよね。
反対に誰かに相談されたとき、
分かってあげたいけど
実際に相手の心を理解できるかというと
難しいことが多いです。
結局心がひちりぼっちなんですね。
そういう寂しい心を抱えている事を
「独生独死独去独来」
っていうそうです。
ということは、もしそうなら、
どんなところで誰とすごしても、
結局寂しい心は癒されないってことになってしまう。
だけど、そんな寂しい毎日を送りたいって人はいないんじゃないよね。
きっと、明るい楽しい安心できるほっとできる、ここが私
の居場所だって言えるような毎日を送りたいって思ってるんじゃないかな。
いってみれば、本当の私の姿を、誰も知らない、
自分でさえも分からないような本当の私の姿を、
隅の隅まで知り抜いて、
そんなあなたが好き、と言われたような幸せ、
になりたいと思ってるんじゃないでしょうか。
じゃあどうしたらそんな幸せあるのか、といえば、
ある哲学者は
「一人いて一人喜べる幸せ」と言っています。
哲学者と言えば、日本では西田幾多郎、田辺元、三木清が日本の三哲と言われて有名です。
中でも西田幾多郎は、西田哲学、と言われるほど、
独自の哲学を打ちたてた人として世界的に知られています。
その西田幾多郎は、その幸せの事を
「絶対矛盾的自己同一」と呼んでいます。
歎異抄という古典では、それを「無碍の一道」と言われているそうです。
本当の私を見抜いて、そんな私が好きと言われたような幸せです
から、こんな事を思ってちゃ、とか、こんな事やってるのに、
といったような、さわり、悩みが問題にならない幸せ、
ということらしいです。
無碍の一道とは、どんな幸せなのか。
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