布教に挺身されたあと、還暦過ぎて京都に戻られました。
その時、関東には、長子の善鸞を残してきました。
ところが善鸞は、父・親鸞から授かった秘密の法文があるといって
勢力を拡大しようとし始めたのです。
親鸞聖人はその報告を聞かれ、何度もいさめの手紙を送りましたが
一向にやめる気配はありません。
さらに、その相談のために、お弟子達が京都にやってきます。
あの者たちならばと信頼されて、 関東の同朋たちの教化を任せ、
京都に帰られた親鸞聖人でしたが、
それらの人が善鸞や日蓮宗を開いた日蓮の言動で信心が動揺し、
はるばる京にやって来た彼らに聖人の落胆と悲歎は、 どんなであったろう。
そしてやがて、しみじみ仰ったお言葉が、 この御消息(お手紙)です。
「慈信坊(善鸞)が申すことによりて、
人々の日頃の信のたじろきおうて在しまし候も、
詮ずる所は人々の信心の真実ならぬ事のあらわれて候、
よきことにて候」(御消息集)
他人の言葉や行動で動乱するようなことでは、
所詮、彼らの信心は真実信心でなかった証拠である。
信心が真実でなかったことが分かっただけでも喜ばしいことではないか。
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