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2018年05月28日

歎異抄の念仏者は無碍の一道なり

親鸞聖人は、難度海の人生を明るく渡す大きな船があるから、
早く乗れよと教えておられます。

その大きな船に乗ると絶対の幸福になれます。

 

絶対の幸福については、

歎異抄に、
「念仏者は無碍の一道なり」歎異抄

と教えられています。


無碍の一道とは、

一切が碍りにならなくなった世界のことです。
摂取不捨の利益と同じ世界です。

 

 

では、念仏者とはどのような人をいうのでしょうか。
ただ念仏を称えている人のことなのでしょうか。
念仏を称えていると言っても色々あります。

 

夜、火葬場の近くを通って怖くなった時に念仏を称えることがあります。
肉親が死んで悲しい時に念仏を称えることもあります。
役者が台本に書いてあるため称えることもあります。
そのような人を念仏者と言われたのではありません。

 

間違えないように次に念仏者のことを

次に「信心の行者」と言い換えておられます。

 

信心の行者とは、摂取不捨の利益に救い取られた人をいいます。
そのような身になって念仏を称えている人を念仏者と言います。

 

その念仏者は一切の碍りが碍りとならない無碍の一道に出られます。

タグ:念仏 歎異抄
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心
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