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2020年02月18日

棚田の歴史!なぜ斜面に作ったのか/横瀬町

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今日は棚田の歴史について話そう。

今では平野に田んぼがあることが主流となっているが、棚田はなぜ斜面に作らなればいけなかったのか。

そもそも棚田のことを知らん者もいるかもしれんのでまずは基本的なことから説明していこう。
棚田とは

8寺坂棚田.JPG

棚田とは急傾斜の山間地にある階段状の水田のことだ。

この階段状に見える部分が棚のように見えるので「棚田」という。

これが水田ではなくて畑だった場合、言い方が「段々畑」となる。

倉埼玉雄.png

じゃあ段々畑で農作業がめんどくさくなってきた人は「だんだんめんどくさくなってきた人」と言うわけですね?^^

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お前は入ってくるな!!!話がそれるだろう!!

こんど邪魔をしたらまた一日中田植えの手伝いをさせるからな!


倉埼「すんません・・・・」

斜面に作る理由

1寺坂棚田.JPG

次に斜面に水田を作った理由だ。

現代は農業用水を川などから引き込む技術が進歩しているから平野であっても水田を作ることは可能だが、江戸時代以前は傾斜が少なくて排水しにくい土地は湿地となってしまうので稲作には不向きだったのだ。

外部から人工的に農地へ水を供給することを「灌漑(かんがい)」という。

稲作をするにあたって水を引き込むことは必要不可欠、コップの中の水を斜面に流せば水は流れていくが、平面に流すと辺りは水びたしになってしまうだろう。

つまり近世以前の稲作の適地は比較的小規模で緩やかな沖積扇状地、これが棚田の原型だ。
棚田が減っていった理由

6寺坂棚田.JPG

ではなぜ棚田が減っていったのか。

それは近世以降に登場した水車による灌漑技術の向上だ。

水路に水車を設けて灌漑や排水ができるようになったことで平野での稲作も可能になったのだ。

さらに第二次世界大戦後は稲作の大規模化、機械化が推し進められる。

それまで様々な形をしていた圃場は農業機械の導入しやすい大型の長方形に統一され、現在のような穀倉地帯ができているのだ。
まとめ

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現在まで棚田が残っていることがどれほど尊いことか分かっただろう。

この寺坂棚田は地元の有志たちが集まって復活させた努力の結晶だ!

訪れる者はゴミを捨てたり荒らしたりしないようにして景観維持に協力していただきたい。

なあ倉埼!!!!!

倉埼玉雄2.png

はい・・・・肝に銘じます・・・・・

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