2008年01月11日
これもシンクロニシティ?
そろそろ毎年恒例の「サル出没の日」が近付いてきました。今年はどんなサルの生態が見られるんでしょうか?それにしても誰がいつから「成人式は騒いでも良い日」としたのか?当日は新成人を大人として認める儀式として、厳正な法の適用を切に願います。
さて、題名の件ですが・・・先日の覚書で刑事コロンボの「汚れた超能力」の事を書いたら、ちょうど数日前にそのビデオを見たとネット上で知り合った方からメールを頂きました。で、その方と知り合ったきっかけのネタについて、覚書の草稿を書こうとしていたら・・・今日、まったく予期せぬタイミングでその話題がミクシィで私の管理するコミュで書き込みがありました。
う〜ん・・・一連の流れが何とも不思議な(ついでに言えばもう一つ絡んでたんですが、諸事情により割愛(笑))
まぁ、回りくどい言い方をしても始まらないので端的に書きますが、あんでるせんの話です。ここでよく話題になるのが「超能力でも手品でもどっちでも良いじゃん」と「何でお前はそこにこだわって批判を続ける?」と言うもの。これは何度でも書かざるを得ないかなぁ・・・とも感じます。
いつも私が使う言葉ですが、超能力などの超常現象を「事実」として受け入れてしまうと、「心のセキュリティホール」が出来てしまいます。つまりはトンデモなものに対して簡単に受け入れてしまう下地ができると言うことです。
そんな心配はご無用、私はそんなにバカじゃないと反論する人もいますが、そう言う人はそれで良いでしょう。ただ、「○○だから××でもおかしくない」「・・・不思議じゃない」って事を言い出しませんか?私が心配するのは「超能力を持った人間がいるんだから・・・」で不条理なものを受け入れないか?と言う点。
いやいや、もちろんいらない心配でしょう。でもそんな物分りの良い人ばかりじゃないんですよ、世の中。そんな人のために「アレは超能力じゃないんですよ」と言ってるだけですし。
他にもイロイロと書きたい事がありますが、定期的にこう言う点については書いていきたいと思いつつ、それでも生ぬる〜く覚書を進めていくだけです(笑)。