今回は日本橋川沿いを歩いていて偶然見つけた城のなごりの話です。
<一ツ橋門跡>
あの形はもしかして
高架下の目立たない所にありますが、明らかに城門の土台となる石垣です。こんなブログをやっていますが、意識して訪問したわけではなく、まったくの偶然でした。この日は真夏日で、江戸城の平川門跡に寄ったあと、強い日差しを避けて高速道路の日陰に逃げ込んだことが幸いしました。
<一ツ橋>ひとつばし
場所は日本橋川に架かる一ツ橋のたもと
<現地地図>
ここです。平川門から信号を渡って日本橋川に向かって歩けばすぐ。現地では川より高速道路の方が目立つので、そちらを目印にした方が良いかもしれません。
冒頭の石垣は一ツ橋を渡った先にあります。古地図などで確認すると、城門は橋とほぼセットで機能していたようです。
<橋の上から撮影>
ちょっと薄い・・・
桝形門という立派な構造だったようです。これだけで原型を想像するのはちょっと難しいので、同じく桝形門だった日比谷見附の石垣を参考までに貼っておきます。
<比較用:日比谷見附跡>
こちらは日比谷見附跡です。門そのものはありませんが、石垣の一部が残っている状態です。あくまで参考です。一ツ橋門の石垣も、きっとこれくらい重厚なものだったことでしょう。
ちなみに
桝形門とは、石垣などで周囲を囲まれた方形の区画を確保して、出入口に門を設ける構造をいいます。ちょっと説明が雑ですかね。城用語を説明した投稿がありますので、良かったら覗いてみて下さい。
■タイトル:城用語 桝形・桝形虎口・桝形門
→『記事へすすむ』
<護岸の一部>
桝形門の大半は取り壊されましたが、川に面した部分は護岸の一部として機能しているため、残されたわけですね(推定)。石垣が崩れないように反対側はコンクリで固められています。
橋を渡ってもうちょっと近づいてみました。
<隅石>
立派な隅石です。石垣の強度を保つ上で最も重要視されるのがこの隅っ子の石。比較的大きな石を綺麗な方形に加工し、長短を交互にして積み上げていきます。算木積み(さんぎづみ)という技法で、江戸城に限らず、近世城郭では決して珍しい技法ではありません。ただ、石垣全体がこのような姿になっているだけに、妙に愛おしく感じてしまいます。
後で調べて分かったのですが、残されている部分は枡形の櫓台のようです。さぞりっぱな石垣だったのでしょう。江戸城三十六見附(赤坂見附や虎ノ門といった江戸城の主要な出入口の総称)の一つに数えられる城門でした。その当時の石垣が、目立たない高架下に人知れず残っているわけですね。
さてさて
貴重な歴史の痕跡ではありますが、石垣に関する説明板は見当たりません。ただし一ツ橋についての説明板はありました。そこには『内濠川に架かる見附橋』と記されており、『徳川家康が江戸城に入ったころは、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていた』とありました。家康が江戸に入る以前から、一ツ橋と呼ばれていたわけですね。橋が『一つ』で一ツ橋。なるほど。これとは別に、橋の付近で二つの川が合流して『一つ』になる地点だったから一ツ橋と呼ばれたというお話もあります。まぁいずれにせよ、架かっていた橋の名はそのまま地名となり、のちには地名に由来して、徳川家の血縁が一ツ橋家と称しました。先ほどの地図の中央下に丸紅東京本社ビルとありますが、こちらは一橋徳川家の屋敷跡です。
<城門のなごり>
明治になって一ツ橋見附は撤去されました。取り除かれなかった石垣が、城門のなごりを留めています。
■訪問:江戸城一ツ橋門跡
[東京都千代田区一ツ橋]
お城巡りランキング
----------(追 記)----------
文中にあった平川門付近の画像を貼っておきます。こちらは今でも有名な江戸城の出入り口。一ツ橋門見附のご紹介はちょっとマニアックなので、まずはこちらを目当てに訪問されることをお勧めします。
<平川橋>
一橋徳川家の登城口でもありました
2020年09月10日
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