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2020年07月09日

信玄でも落とせなかった山城を攻略した武田勝頼(高天神城) 

今回は偉大な父の跡を継いだ武田勝頼の話です。

■武田家を滅亡させたイメージ■
勝頼は武田信玄の息子であり後継者ですが、カリスマ武将の父との比較で、評価はあまり高くありません。武田家は勝頼の代で滅亡したことは事実ですから仕方ないですかね。ただ、まるで無能だったかのような扱いで描かれている映画や小説を目にすると気の毒で、当ブログでは何度か勝頼を庇うような論調で投稿させて頂いております。良かったら覗いてみて下さい

⇒武田勝頼は弱くない!(蒲原城)
→『記事へすすむ

⇒諏訪四郎勝頼のなごり(諏訪原城)
→『記事へすすむ

今回もほぼ同じ内容です。
ただ、舞台は高天神城です。

<高天神城>たかてんじんじょう
shirononagori441ad.JPG
山城

shirononagori439 (3).JPG
曲輪

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土塁

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城内からの眺め

要害の地に築かれた山城です。ここは遠州を征するのに欠かせない拠点。武田と徳川の激しい争奪戦が繰り広げられた場所です。あの武田信玄が大軍で攻めても落とせなかった難攻不落の城ですが、信玄の跡を継いだ勝頼により、一旦は武田の城となりました。

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山城の西側の斜面のこの横堀は、武田時代に設けられました。高天神城を西から攻め落とした勝頼が、弱点を補うために構築した跡です。


■出戻り四男の当主■
武田勝頼は信玄の四男。母は信濃国の諏訪家当主・頼重の娘で、信玄が諏訪領を攻略したのち、諏訪家へ送りこまれました。諏訪四郎勝頼を名乗り、武田配下の一勢力として武功を挙げたと伝わります。

そのまま何事なければ、勝頼は諏訪家の当主として、父や兄をサポートする役割を担ったはずです。しかし嫡男である兄・義信が、謀反の疑いで武田家を継ぐ権利をはく奪されるに至り、他の二人の兄が候補者に成り得なかったことから、勝頼は諏訪家から武田家へ戻ることになりました。

勝頼は信玄の実の子です。ただ、一旦は諏訪四郎勝頼を名乗った男。家臣団の間で既に諏訪家当主として浸透してしまっている立場から、武田家当主となるのは順当な流れではありません。名門武田家では、将軍から偏諱をもらい、官位を受けるのが普通。しかし勝頼にはそれもなく、名前に武田家の通字である「信」もありません(勝頼の『頼』は諏訪家の通字です)。明らかに従来の『お屋形様』と比較して異質な存在でした。

1573年に武田信玄が亡くなり、勝頼はここで初めて武田姓に戻し、武田家の第20代当主となりました。信玄の死は突然のことで、残した課題はたくさんありました。勝頼は身内からの信頼も不安定なまま、信玄の死を機に巻き返しを図ろうとする織田信長や徳川家康と激突します。

信玄亡きあとの武田家は弱い?

とんでもありません。武田勝頼率いる武田軍は快進撃を続けました。身内をまとめるのに一番役に立つ方法は、外の敵と向き合い、更に勝利すること。勝頼は信玄の拡大路線を引き継ぐ一方で、このことも意識していたのではないでしょうか。華々しい戦歴のすべてはご紹介できませんが、その代表例が、信玄でも落とせなかった高天神城の攻略です。


■第一次高天神城の戦い■1574年
高天神城の戦い』とは、武田勝頼VS徳川家康という構図で行われた重要拠点をめぐる2度の攻防戦の総称です。
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第一次』と呼ばれるのは1574年5月の戦い。武田側が勝利しました。勝頼は、信玄にも仕えた重臣・馬場信房を遠江に派遣し、高天神城を落とすための拠点として諏訪原城を築かせます。そのうえで、2万5千の大軍で押し寄せ、徳川方の小笠原信興(のぶおき)が千人で守る山城を落城させます。浜松の徳川家康は、援軍を出すことができませんでした。

信玄でも落とせなかった城を攻略

織田信長に「天下一強い」と言わしめた武将でも落とせなかった高天神城を、勝頼は落としました。勿論これだけで比較するつもりはありませんが、決して弱い戦国武将などではないのです。

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この時、勝頼は籠城して抵抗した敵の諸将の命を奪いませんでした。将兵の助命と引き換えに降伏した城主との約束を守ったわけですね。希望する者は自らの家臣とし、去る者は追わなかったそうです。


■つわものどもが夢の跡■
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高天神城を攻略できたことで勝頼は自信過剰になり、家臣の助言を受け入れなくなり、それが原因でやがて滅亡したという考え方があります。実際はどうなんでしょうね。出戻りで嫡男でもなかった勝頼は、自信過剰になれるほどの余裕もなく、ただただ勝ち続けることでしか武田家を束ねられなかったような気がします。

■訪問:高天神城
[静岡県掛川市上土方嶺向]


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posted by Isuke at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[中部]
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