いわゆる皇居のお濠です。今回は旧江戸城の濠の一部は、かつて海の入江だったという話です。
まずはこちらの絵図から
<道灌時代の江戸城>
東京国際フォーラムの太田道灌像付近で撮影したものです。道灌は江戸城の築城者として知られていますね。その当時の江戸城の姿です。立派な城ですが、のちの江戸城と比べればコンパクトですよね。城の左側に水辺が描かれていますが、これは江戸湾(=東京湾)が陸地に入り込んだ部分。つまりの入り江です。そして城の手前にはこの入り江に繋がる天然堀。どこまでが入り江で、どこからがそこへ注ぐ川なのか分かりませんが、道灌はこういった地の利を活かして江戸城を築城したことが伝わってきます。
当時あった『日比谷入江』は、現在の新橋付近から北へ向かって大手町付近まで達っていました。江戸城は徳川家康により大規模な拡張工事がなされますが、改修後の日比谷濠や馬場先濠、和田倉濠はこの日比谷入江のなごりとされています。つまり、道灌時代の天然堀の代わりということですね。
<日比谷濠>
こちらは南側(日比谷公園側)から撮影した日比谷濠。江戸湾の一部だったなごりです。
<日比谷濠>
今度は北側(馬場先口から)撮影。掘り起こして築いたのではなく、埋め残しで築かれた濠ということですね。
もうちょっと北へ目を向けると
<馬場先濠>
ここも入り江だったのでしょう
いい眺めです
更に北は
<和田倉濠と和田倉門>
どうもこの付近までは入り江だったようです。
<和田倉門跡>
江戸城三十六見附のひとつに数えられる和田倉門跡です。
和田倉のワダは、海を意味していたと考えられています。和田倉とは、ワダ(=海)に面したところに倉があったことに由来するようです。この名前自体が、海が入り込んでいたなごりということですね。
ということで
日比谷濠はかつての入り江のなごりというお話でした。同じく馬場先濠、和田倉濠も。ちなみに、昔の神田川の河口はこの入江だったようです。同じ景色でも、知れば見る目がかわりますね。
<夜のお濠>
■訪問:日比谷濠
[東京都千代田区日比谷]
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