つわものどもが夢の跡
豊島氏発祥の地とされる東京都北区豊島。館跡と推定されているお寺に足を運びました。
<清光寺>
隅田川沿いにある真言宗豊山派寺院。豊島清光の館跡と伝わります。清光が娘(息子という説もあり)の冥福を祈るために、館の一角に建立した時から清光寺の歴史が始まります。
<本堂>
本堂には豊島清光の坐像があります。
<説明板>
木造豊島清光坐像は江戸時代になってから製作されたものとのこと
<豊島清光供養塔>
<手水舎>
豊島氏は秩父氏の庶流。この地を開発し、豊島氏を名乗りました。代々源氏に従い、豊島氏四代目とされる清光は、源頼朝の関東平定に貢献したことで知られています。また、清光の息子である清重は、やがて陸奥で勢力を拡大する葛西氏の祖となりました。
<参道>
<周辺>
多少の高低差。清光寺はかつての館の一部に過ぎませんが、せっかく来たので、敷地の周辺も散策しました。
鎌倉幕府の有力御家人となった豊島氏の拠点は、長らく平塚城(現在の平塚神社付近:同じく北区)であったと考えられています。今回訪問の豊島から徒歩圏内です。清光亡き後、平塚城から近い清光の館が機能し続けたのか、あるいは寺だけが残ったのか、詳細は分かっていません。
<参考:平塚城跡>
北区上中里にある平塚神社です。源義家・源義綱・源義光が祀られています。
豊島氏はやがて本拠を石神井城(現在の石神井公園:練馬区)へ移し、南武蔵において一定の勢力を保ち続けます。しかし泰経が当主の時に太田道灌に敗れ、実質滅ぼされてしまいました(1478年)。これにより、今回訪問の清光寺は一旦衰退します。
<説明板>
説明文によれば、豊島泰経が太田道灌と戦った際、清光寺の僧も共に戦ったようですね。それ以前にも、山賊悪徒等による略奪で寺が荒廃した時期があったとのこと。豊島氏支配下でも、決して気の抜けない時代だったことが伝わってきます。
つわものどもが夢の跡
戦国時代末期、名族豊島氏の子孫を称した豊島明重により、清光寺は再興しました。
-----■ 豊島清光館 ■-----
築城年:(鎌倉時代?)
築城者:豊島清光
城 主:豊島氏
廃 城:不明
現 状:清光寺
[東京都北区豊島] 7丁目
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-----------(追 記)-----------
豊島氏の平塚城跡については、以前投稿させてもらっています。良かったら覗いてみて下さい。
■投稿:2017年03月11日
■タイトル:豊島一族の城跡 平塚城
→『記事にすすむ』
2019年02月11日
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