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2019年02月11日

茅ヶ崎城のなごり 

つわものどもが夢の跡
横浜市の市街地に残る中世の城跡を訪ねました。緑豊かな城址公園でありながら、良好な遺構と出会える貴重な場所です。

<茅ケ崎城の空堀>
shirononagori313 (27).JPG
いわゆる湘南の茅ヶ崎市ではありません。ここは横浜市都筑区の茅ケ崎

<城址公園>
shirononagori313 (2).JPG
横浜市指定史跡。茅ヶ崎城址公園として整備されています

■茅ヶ崎城■
この地に最初に城が築かれた時期については、あまりはっきりとは分かっていません。築城者は摂津源氏の流れを汲む多田行綱という伝承もありますが、諸説有り定かではないそうです。大筋では、城の始まりは14世紀末頃で、その後は関東管領の上杉氏が関わり、やがて小田原北条氏の支配下となったとされています。

■小机衆■
小田原北条氏が関東での勢力を拡大した頃、この地は小机衆の一員座間氏の所領でした。このことから、茅ヶ崎城は小机城の支城的な役割を果たしていたと考えられています。小机衆とは大小29の武士団で構成されていた北条氏傘下のネットワーク。各々が拠点を持ち、それらを束ねる中心地が、北条氏支配下の小机城でした。
<参考:小机城跡>
shirononagori294 (21).JPG
[横浜市港北区小机町]
茅ヶ崎城はこの城の支城として機能したわけですね

1590年、秀吉の小田原征伐で北条氏は滅亡。小机衆のネットワークの中心だった小机城同様、今回訪問の茅ヶ崎城もこの頃に廃城となったと考えられています。つまり、中世で幕引きとなった城跡ということですね。


■現地訪問■
最寄り駅は市営地下鉄のセンター南駅です。城跡はその東側、徒歩圏内にあります。

<駅の案内図>下方向が北
shirononagori313 (1).JPG
ちょっと紛らわしいですが、この地図は下方向が北です

この地はもともと都筑群茅ケ崎村。地名の由来はわかりませんが、茅が生い茂る低湿地に、台地が岬のように突き出た地形を想像してしまいます。城はまさにそんな場所に築かれています。北側を流れる早淵川も、外堀のような役割を果たしていたのかもしれません。

<城址公園入口>
shirononagori313 (7).JPG
あっという間に現地到着です

<山城>
shirononagori311ad.JPG
標高32m、比高で20mの山城です。私はこの階段から城内へ入りました

<高台>
shirononagori313 (4).JPG
住宅が山の麓まで迫っていますが、かなり遠くまで見渡せます。ほぼ独立した丘(厳密には丘陵の先端部分)ですので、四方に死角はありません。相模国と武蔵国を結ぶ道(のちの中原街道)が近いことから、道筋を牽制する役割を担ったのではないかと考えられています。

<縄張り図>
shirononagori313 (5).JPG
縄張りとしては、中央部に本丸(中郭)を設けて、あとは東西と北の三方に曲輪配置する構造。城址公園の入り口から入った私は、北側の曲輪から城内に侵入したことになります。城の南側に根古屋の文字。これは「ねごや」と読み、山城の麓に城主の館やら屋敷を設けるエリアのことです。あと、当ブログでは「くるわ」は「曲輪」で統一していますが、今回は城内の案内板に合わせて「郭」も使わせて頂きます。同じ読み、同じ意味です。

<北郭>きたくるわ
shirononagori313 (6).JPG
北側の曲輪です

<公園内の道標>
shirononagori313 (8).JPG
次は中郭へ

<中郭>なかくるわ
shirononagori313 (9).JPG
一番大きな曲輪です

<中郭の土塁>
shirononagori313 (10).JPG
曲輪を取り囲む見事な土塁

<土塁の説明板>
shirononagori313 (11).JPG
親切な城址公園です

shirononagori313 (16).JPG
繰り返しますが見事です。ここまでとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。

<遺構の説明>
shirononagori313 (13).JPG
発掘調査で中郭の建物の様子が明らかになった。そんな内容です。

<建物のなごり>
shirononagori313 (14).JPG
建物の礎石。この位置にあった建物は倉庫だったようです

<中郭の土橋>どばし
shirononagori313 (17).JPG
中郭を出て回りこむと、隣の東郭との間に土橋跡が。これはいいですね。柵があって、これ以上は近づけませんでした。他の人のブログを見ると、草が刈ってあってもっとはっきり見えるのですが、まぁ仕方がないですね。

<東郭の説明>ひがしくるわ
shirononagori313 (19).JPG
この山城で最も高い位置にある曲輪です

<東郭>
shirononagori313 (18).JPG
コンパクトな曲輪です。縄張り図を見ると、先ほどの中郭が主郭(つまり本丸)と思われますが、こちらが主郭であった可能性もあります。

<東郭虎口>こぐち
shirononagori313 (20).JPG
主郭が中央ではなく奥にある場合、だいだいその向こうは崖とか川とか。要するに天然の地形に守られていたりします。ここも崖同然です。虎口は曲輪への入口という意味。つまりここが東郭への入口ということです。

<西郭沿いの堀>
shirononagori313 (25).JPG
右上が西郭

<空堀>
shirononagori313 (24).JPG
堀がそのまま道になっています。むかしはもうちょっと堀は深く、曲輪の位置も高かったようです。

<公園内の道標>
shirononagori313 (22).JPG
方向音痴なので助かりました

<急勾配>
shirononagori313 (23).JPG
この城が築かれた台地は急勾配が多いですね。あるいは崖です。降りた先が平らな区画になっていますので、腰曲輪と思われます。主要な曲輪の下に配置して、より守りを固めるための工夫です。

<中世の雰囲気>
shirononagori313 (21).JPG
復元も含まれると思われますが、決して過度ではなく、むかしに思いを馳せるには丁度良いのではないでしょうか。

本当に廃城が1590年頃とすると、この城のなごりはそれ以前のもの。大きな城ではないですが、築城には相当な労力が必要だったのではないでしょうか。関東の城では、北条氏の支配下で劇的な改修なされる事例が結構ありますが、ここ茅ヶ崎城もそれに該当するのかもしれません。

shirononagori313 ad2.JPG

公園化されたといっても見事な遺構。かつてこの地に本物の城があった。そのなごりが充分に漂う場所です。

期待以上の訪問となりました。

-------■茅ヶ崎城■-------
築城年:詳細不明
築城者:詳細不明(北条氏)
城 主:詳細不明(北条氏)
[横浜市都筑区茅ヶ崎町]


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タグ:北条
posted by Isuke at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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