城跡とされる野田市の寺院を訪ねました。
<海福寺>
見事な山門です。
<境内>
全部はご紹介できませんが、立派なお寺です。この寺一帯が、かつての城跡と考えられています。
<周辺との高低差>
劇的な高低差というわけではありませんが、城跡は周辺より数mは高い台地上に位置しています。低湿地を望む微高地に築かれた。そんな感じでしょうか。それらしい雰囲気は漂いますが、決定的な遺構があるわけではありません。
こちらは同じ台地上から撮影した海福寺。境内だけでも結構な広さですが、あるいはこの平らな区画も城の一部だったのかもしれません。
<石碑>
こちらの石碑には『岸和田城主岡部長盛公開基』と刻まれています。
岡部長盛とは、「岡部の黒鬼」と称された徳川家の古くから家臣。小田原北条氏滅亡後、関東に入った家康により長盛には1万2千石が与えられ、ここ山崎の地に下総山崎藩を立藩するに至っています。山崎に入部した長盛は、こことは別の場所に城を移していますので、山崎城はそれまでの拠点ということになりますかね。その長盛がやがて丹波亀山藩に加増移封(3万2千石)されると、下総山崎藩は廃藩。家臣に番をさせていたと思われる山崎城は、この時に役割を終えたと考えられています。
ところで、石碑の『岸和田城主』ですが、長盛の長男・岡部宣勝が、のちに和泉岸和田藩の初代藩主となっています。藩主はあくまで息子の方ですが、父である長盛がその前に岸和田城主だった?ということでしょうか。刻まれた文字、私にはちょっと分りにくかったですね。ちょっと話がそれますが、和泉岸和田藩主となった宣勝は、それ以前の悪政に苦しんでいた領民を救う良き統治者であったようです。
<無量山海福寺>
海福寺は岡部氏の菩提寺です。長盛が山崎城跡に開基して、生母を葬った所と伝わります。山崎城そのものの情報は少ないながら、岡部氏とのつながりは充分理解できました。
<山崎宿>
山崎城跡(海福寺)は東武野田線の梅郷駅から徒歩10分程度。途中で『宿場町のなごり』と出会いました。山崎は宿場として栄えたところ。そんな雰囲気を味わいながらの訪問をお勧めします。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
-------■山崎城■-------
築城年:詳細不明
築城者:詳細不明
城 主:岡部長盛
廃 城:(1609年頃?)
現 状:海福寺
[千葉県野田市山崎]
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