今回はまた「暗渠」のお話。本日の暗渠探索です。
<暗渠>
昔は川だった道です。石神井川から板橋区内で別れて、この付近を通過して隅田川に繋がる川です。
■稲付川が流れる街■いなづけがわ
当ブログで時々登場する東京北区の街・赤羽。まず、太田道灌築城と推定されている稲付城跡があります。城跡メインのブログですので、赤羽が登場するのは自然な流れです。
<稲付城跡>
もう一つの理由は、ずばり「暗渠」です。毎回同じ説明ですが、これは「あんきょ」と読み、「地下に埋設された川」といった意味です。
<稲付川の暗渠>
ただの道ではありません。かつては川でした。住所だと北区赤羽西付近。川の名は稲付川です。北耕地川ともいいます。
都内の川にはありがちなことですが、この川もほとんどの区間が暗渠となっています。ですから、ここに限らず川の姿は見えません。きっと、誰も川だとは思わないでしょうね。いわば「忘れ去られた川」です。
ただこの孤独な川、下った先、まもなく隅田川という地点の約150m程度だけは開渠になっているとのこと。開渠とは暗渠の逆で、蓋のされていない状態。つまり、水面が見える状態のことですね。
私は暗渠として何度もこの稲付川を紹介しながら、唯一残された開渠部分は見たことがありませんでした。まぁ見なくてもどってことはないのですが、なぜか急に見なくてはいけないような気になった。なぜか。本日。
ということで、たったそれだけの理由で、猛暑日が続くなかその場所へ行ってまいりました。
<ガード下>
まずは赤羽駅の西側から東へ移動。赤羽は、大ざっぱに言うと駅より東側に向かって低地が広がり、やがて川へ出ます。稲付川もそちらへ向かって流れています。
住所で大筋を説明すると、赤羽西⇒赤羽南⇒神谷(かみや)という順になります。実際に歩いた十条等は省略。あくまで大筋の話として。
<神谷>
で、ここは既に神谷三丁目。団地のある付近です。暗渠はこの先で国道122号線に出ます。
<国道122号>
道の向こうにそれらしい空間が見えました。大同特殊鋼王子工場とDNPグラフィカの間です。
<加筆>
加筆しました。ここです。間違いないです。近くに信号がありますので、あとはそこから道を渡るだけ。
<地図>
隅田川、そして川の向こうの足立区が目と鼻の先ということですね。
<北町橋>
この目立たない橋より先が、稲付川と空が出会う唯一の場所です。
<水面>
柵があって撮影しにくいですが、水面がしっかり見えています。暗闇の水路は、ここで陽の当たる川になりました。
<暗渠ではない稲付川>
工場の敷地に挟まれた河川用の敷地です。
ということで、
稲付川の暗渠の果ては、コンクリの街に残された「立入禁止」のオアシスでした。
以上です。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
2018年07月15日
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