<日比谷見附跡>
江戸城三十六見附の一つ「日比谷見附」の跡です。もともとは高麗門(こうらいもん)・枡形(ますがた)・渡櫓(わたりやぐら:通路的な機能)・番所という構造でしたが明治初期に撤去されました。勿体ないけど仕方ないですね。いまは石垣と塚だけが残されています。
日比谷見附の枡形門は伊達政宗が築いたそうです。どんな立派な見附だったのでしょうね。この石垣は言わばそのなごり。素通りする方が多いですが、立ち止まって眺める価値は充分ありますね。
■ 見附の管轄 ■
見附とは見張り番を置いている場所。まぁ警備員が待機している主要な門ということになりますね。いまの世の中ですと警備会社さんに委託なんて方法もありますが、この江戸城の警備、全部徳川家の身内で管轄していたのでしょうか?三十六見附と言っても、実際にはもっと多かったようです。結構大変ですね。
まず城の内側というか、本丸近い方。これはやはり信用されている譜代大名が担当したそうです。具体的には大手門・桔梗門など。これに対し外濠付近の門は外様大名。桜田門や今回ご紹介の日比谷門などです。イレギュラーなケース、旗本の扱いなどは除いた「大筋」の話です。
■ 堀のなごり ■
<心字池>しんじいけ
石垣の西側の「心字池」。これは水堀のなごり。構造として城の内側にあたるので、内堀ですね。いい感じです。
見附跡のある日比谷公園、もともとは名だたる藩の上屋敷が立ち並ぶ場所でした。明治になって更地となり、官庁の建設という案もあったそうですが、地盤の関係で公園となりました。まぁこの付近、ずっと昔は海(入江)でしたからね。公園造成で堀を埋める際に一部を埋め残し、池として整備したようです。すぐそばの江戸城日比谷濠もいいですが、ひっそりと残された水堀のなごり。別な趣があります。
いつもいつも慌ただしく通り過ぎないで、たまには立ち止まってみるのも良いかもしれません。
■訪問:日比谷見附跡
( 日比谷門跡 )
[東京都千代田区日比谷公園]
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2017年11月25日
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