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2020年03月10日

越生梅林の歴史!越生町に梅が広まった理由とは/越生町

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今年の梅まつりは残念ながらコロナの影響で中止となってしまいましたね・・・

まあ6月には梅フェアもありますし、次のイベントに期待しましょう。

いくら中国拳法が得意な私でもさすがに目に見えないウイルスにはかないません(-_-;)

梅が有名な越生町ですが、そもそもなぜ梅が広まったのか。

今日は越生町の梅の歴史について話していこうと思います。
梅の起源

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越生町に梅が広まったのには「菅原道真」が関係しています。

現在では学問の神様として崇められている菅原道真ですが、生前は漢学者でもあり、自宅に梅を植えて愛でていました。

しかし醍醐天皇との政治の争いに敗れてしまったことにより、宇田天皇の忠臣だった道真は京都から現在の福岡県西部(大宰府)へ左遷されてしまうことに・・・

その際、自宅に植えていた梅に対して「梅の花よ、春風が吹いたら匂いをよこしてくれ、主人がいなくなっても春を忘れるな」という意味の和歌を詠んだことで、菅原道真と梅の深いつながりが広まっていくことになったんです。

太宰府天満宮は梅の名所となり、のちに越生町に天満宮を分祀した際は菅原道真と梅にちなんでこの天神社にも梅を植え、「梅園神社」という名前がついたと言われています。
梅林

そして現在越生町は梅の栽培が盛んな地域となり、春になると1000本の梅の花が咲き誇る「越生梅林」は水戸の偕楽園、熱海の「熱海梅園」とならんで「関東三大梅林」と呼ばれるようになりました。

越生町には越生梅林だけではなく、町内の様々な場所で梅が栽培されています。

梅林を含めると栽培されている梅の数はなんと25000本!

まさに梅に囲まれたまちなんです^^
まとめ

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梅の花が咲くのは今年だけではないので来年までじっと待つしかないですね。

コロナの終息次第ですが、次は6月の梅フェアを紹介したいと考えています。

大ぶりの梅がお得な価格で販売しているのでぜひいらしてください^^





倉埼玉雄
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