2021年05月04日
【大隅國一之宮・ 鹿児島神宮】鹿児島県霧島市
由緒
鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で
創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代とも伝えらています。
御祭神彦火火出見尊 (別名 山幸彦)は
この地に高千穂宮(皇居)を営み給い、
500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し
国家の基礎をつくられた。
また正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し
全国正八幡の本宮でもあります。
平安時代醍醐天皇の延喜式には大社に列し大隅國一之宮として
朝野の崇敬篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ
後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領2500余町歩の多きに至り、
江戸末期まで千石を有していた。
明治28年官幣大社に列格
現社殿は桃園天皇の宝暦6年(1756年)
島津重年公の造営になるものである。
御祭神
主祭神
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)
豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
相殿神
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)
品陀和気命(ほむだわけのみこと・応神天皇・八幡大神)
仲姫命(なかつひめのみこと・応神天皇皇后)
ご利益
若返り、子授け、安産、商売繫盛、畜産、農業など
鎮座地
鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
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