2018年09月11日

伊達氏のなごり 梁川城

つわものどもが夢の跡
政宗以前の伊達氏のなごりを求めて、福島県伊達市を訪問しました。

<梁川城跡>
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■梁川城■やながわじょう
伊達氏の先祖は関東武士伊佐氏。源頼朝の奥州征伐で功を立てて伊達郡を拝領し、地名の伊達を名乗るようになりました。今回訪問の梁川城ですが、正確な築城年はわかっていません。ただ掘調査の結果、伊達氏第3代または第4代当主の頃、既に拠点として使用されていたと推定されています。3代当主は伊達義広(1185年〜1256年)、4代当主は政依(まさより:1227年〜1301年)です。
ちなみに、初代の朝宗と第2代の宗村までは、伊達郡桑折郷の高子岡に築かれた城を本拠としていたようです。ですから、東北進出した伊達氏の最初の拠点はこの「高子岡城」であって、梁川城ではありません。ちょっと残念。ただ歴代当主の居城だった期間は、こちらの方がずっとずっと長いのです(約3百年)。この点において満足しますかね。また、伊達氏の伊達郡入りとともに朝宗によって築城されたという説もあるのです。


<とある坂道>
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天然の堀として機能していた広瀬川を渡ってすぐ。目的地まであと少しです。この坂を登り切れば右手に高校、左手に目印と定めた浅間神社が見えてくるはずです。8月下旬の訪問。まだ夏まっさかりです。汗だくで歩き続けました。

<坂の途中>
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梁川城は分類だと山城(平山城)です。微高地と言った方がピンときますかね。厳密に言うと、もう城跡の中にいます。この斜面の上が本丸跡、下側が三の丸跡です。ちなみに、二の丸は先ほどの坂を登り切ったところにある梁川高校です。

<説明板>
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坂の途中で想定外の説明を目にしました。ここが大手門?ちょっと本丸から近すぎですね。川と逆側の北側が大手と思っていましたが・・・

これは松前藩の時代の話のようです。私は伊達氏の拠点として訪問していますが、梁川城は江戸時代も城として機能し、更に廃城後も一部が陣屋として使用されました。この位置が大手門跡というのは、そのなごりということですね。

<矢印>
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分かり易い。あっちに行けば良いのですね。わかっていても安心する瞬間です。

ここが本丸跡か・・・

キョロキョロしながら歩いていたら、体操着姿の小学生男子から「こんにちは!」と挨拶されてしまいました。勿論これに応じましたが、大人のくせに一本とられた感じです。

この本丸跡の区画、実はずっと小学校の敷地として利用されていました。震災が原因で別の場所に移転したそうです。


<浅間神社>
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到着しました。ここに限らず、この周辺が城の中心地です。

<境内>
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落ち着いた雰囲気

<土塁>
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城のなごり

<池>
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雑草に邪魔されてどこから降りて良いのか迷いましたが、立ち入り禁止でもなさそうなのでとりあえず降りてみました。

<中世庭園>
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普通の庭園と受け止めましたが、中世の庭園を再現した珍しい造りだそうです。

<心字池>
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近代城郭となる以前、つまり伊達氏の時代には既に造られていたと考えられています。


■伊達氏の拠点■
伊達氏の本城はのちに桑折西山城へ移されます。さらにあとには米沢城へ。しかしここ梁川城は、領内の重要拠点という位置付けから、引き続き伊達の血縁者や有力な家臣が城主を務めました。大切な支城でありつづけたわけですね。この構図は、豊臣秀吉の奥州仕置まで続きます。

■伊達氏の去った梁川■
伊達氏が去った梁川の地は、蒲生氏や上杉氏支配を経たのち、徳川家の息のかかった領地となります。松平義昌の梁川藩3万石を立藩に始まり、その後には幕府の直轄地などを経て、松前藩領となったところで明治維新を迎えました。
梁川城ですが、米沢藩の上杉氏が伊達郡を没収されるタイミングで廃城となったようです。ただし、その後も城の一部は陣屋として使われました。

<お寺>
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本丸跡から北側へ向かいます。画像はその途中で撮影した安養寺。このお寺より更に北側の遺構を目指しました。

<水堀>
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ありました。水堀です。

<土塁>
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そして土塁です。説明板だと、伊達氏と関係があるようですが・・・?

<長い土塁>
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土塁が約2百メートル続きます。これはきっと近世城郭として整備された頃のものでしょうかね。蒲生氏、あるいは上杉氏による改修のなごりかもしれません(はっきりとわからず)。

ここ北側もそうですが、梁川城は東側も西側も城外に劇的な要害性があるわけではありません。よって、人の手により念入りに堀や土塁が設けられました。南側ですが、低地に広瀬川が流れ、これはこれで城の「地の利」であったと思われます。東西南北、これで一通り守りが固められていたわけですね。

ただ、戦国の世が長引き、武器や戦い方まで変わると、城の防衛能力の評価も変わらざるを得ません。伊達氏は長年拠点としてきた梁川城を放棄し、地形の険しい山城(桑折西山城)に本拠を移しました。

■つわものどもが夢の跡■
<本丸跡の土塁>
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かつての城そのものを想像するのは困難ですが、その名残りが漂う場所でした。私には遺構がいつの時代のものか正確には判りませんが、立派に残っています。

ここは武士の拠点として営みがあった場所。関東から旅立った伊達一族が、基盤を築いて奥州における政治的な地位を高めていった場所なのです。そう思うだけで満足。来た甲斐がありました。

-------■梁川城■-------
別 名:鶴ヶ城
築城年:詳細不明(鎌倉初期)
築城者:伊達氏(伊達義広?)
城  主:伊達氏歴代当主
     蒲生氏・上杉氏
改修者:須田長義(上杉家臣)
廃城年:1664年
    (松前藩時代除く)
[福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡]


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2018年09月04日

福島城のなごり

つわものどもが夢の跡
福島県庁を訪ねました。伊達氏や上杉氏ゆかりの城跡です。

<本丸跡の石柱>
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これだけでもありがたいですね。かつてここに城があった。その目印になります。

■伊達氏ゆかりの城■
詳細は不確かながら歴史は古く、かつては大仏城、あるいは杉目城とも呼ばれていました。1413年に、伊達持宗(第11代当主)が鎌倉公方(足利持氏)に反乱を起こし、この地に立て籠ったという記録が残っています(大仏城合戦)。その後の伊達氏との関りだと、伊達晴宗(第15代当主)が拠点を米沢城へ移し、家督を息子の輝宗(第16代当主)に譲ったのち、この地(当時の呼び名は杉目城)に隠居したとされています。

こうやって経緯を省略しながらまとめると、父から子へ家督がスムーズに引き継がれているような印象となりますね。実際には、隠居したはずの晴宗がなかなか実権を輝宗に渡さなかったりで揉めています。晴宗自身も父と対立しました。第17代当主となる伊達政宗は、そんな祖父と父を持つ人物。ということですね。

東北へ進出した伊達氏の拠点は、ながらく(約3百年)梁川城だったことから、ここ杉目城(福島城)は領内の拠点の一つと考えるのが妥当と思われます。


■上杉ゆかりの城■
秀吉の奥州仕置により、会津には蒲生氏郷がやってきました。城は蒲生氏配下の木村吉清が支配するところとなります。この頃に杉目城から福島城と改められ、城下も整備されていったようです。

やがて豊臣政権下で五大老の一人だった上杉景勝が、会津120万石を領することに。福島城には家臣の水原親憲が入りました。

上杉家臣 水原親憲

好きな戦国武将の一人です。これで「すいばら」と読みます。猪苗代城を任されたのは知っていましたが、福島城のことはちょっと初耳です。順番を整理すると、まず福島城を任され、のちに猪苗代城主の今井源右衛門の死により城替えとなったようです。水原親憲は上杉家屈指の武将。つわものです。親憲の後は、上杉家重臣の本庄繁長が城代となりました。拠点として重要視される城だったのですね。その背景には、旧領の奪回を目論む伊達政宗の存在がありました。


■江戸初期も上杉■
関ケ原で西軍に与した上杉家は、会津120万石から米沢30万石に減封となりますが、福島城は引き続き上杉の支配下でした。しかし後継者問題から米沢藩が15万石になる際、福島は上杉の手を離れ天領(幕府直轄領)となります。

ああ、ここで終わってしまうのですね。上杉との関係は・・・


■幕末まで続く城■
1679年に本多忠国が15万石で入封。福島藩が成立しますが、3年後の1682年には再び天領となります(本多氏は姫路へ)。1686年から堀田正仲が入るものの、その後また幕領に(堀田氏は藩主二代で終わり)。1702年に板倉氏3万石で入り、これ以降は明治まで板倉氏が藩主を務めます。そして第12代藩主・板倉勝達が戊辰戦争で新政府軍に降伏。こののち、福島城は破却されました。


<福島県庁>
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現在の福島県庁一帯が、かつての城跡だったと考えられます。

<県庁入口>
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本丸の馬場跡と推定されています。

<県庁裏手>
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遺構と思ってよろしいでしょうか?

<庭園跡>
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現在は紅葉山公園となっているこの付近、かつての二の丸と思われます。

<阿武隈川>あぶくまがわ
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城にとっての天然堀ですね。福島城は分類すると平城ですが、地の利のある場所に築かれていました。更に城の南側の内堀には、この川の水を引き入れ水堀としたようです。

<東北第2位>
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東北では北上川に次いで2番目に長い(239km)川です。舟運という恩恵もあったのでしょうね。

遺構に恵まれた城跡ではないですが、歴史は確か。歴史的に重要な意味を持つ城ということですね。そんなことを感じながらの帰り道、県庁向かいの小学校で嬉しい説明板をみつけました。

<説明板>
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城の内堀を埋めて小学校が建設されたようですね。当時の写真には内堀の土塁と松並木が。いいですね。

<土塁跡>
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あの土の盛り上がりも土塁と思って良いのですかね。福島第一小学校敷地内。これ以上は入れないのでここまでです。


ということで、探索終了です。最後までお読み頂き、ありがとうございます。

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-----■福島城■-----
別 称:大仏城・杉妻城・杉目城
築城者:不明(伊達氏?)
築城年:不明
城 主:伊達晴宗・木村吉清
上杉氏・板倉氏
廃 城:1869年(明治2)
[福島県福島市杉妻町]


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タグ:上杉
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2018年08月31日

小峰城 戊辰150年の夏

つわものどもが夢の跡
南北朝時代における名門家の築城から始まり、幕末の動乱においても重要な役割を担った城を訪ねました。

<小峰城>こみねじょう
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盛岡城・若松城とともに「東北三名城」と賞される名城です。

■現地訪問■
最寄り駅は白河駅。新幹線が停車する新白河のお隣です。そこから徒歩圏内。
<ホームから撮影>
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ホームから小峰城のシンボル・三重櫓が見えています。

<白河駅>
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駅の出口は南側、城は逆方向の北側になります。「反対側かぁ」と一瞬思いましたが、線路を潜る通路に満足しました。城に関する説明がぎっしりです。

<通路の壁>
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これはごく一部。歴史などについても説明がなされており、全部目を通すと、結構時間を要します。有難いですね。

<石垣の説明>
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石垣の積み方についても解説あり。帰り道も足を止めてしまいました。通路内なのでちょっと画像が暗くて申し訳ありません。

<通路の出口>
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通路を抜けるとこんな感じです。これは城郭の一部ではなく駅の付属施設。徐々に雰囲気が盛り上がります。

<現地到着>
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城の手前はかつての二の丸。公園として整備されています。厳密なことを言うと、先ほどの白河駅付近はかつての三の丸なので、既に城跡の中にいたとも言えますね。


■小峰城■
<二の丸の石碑>
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東北では珍しい総石垣造りの城郭。左手に見える石垣が途切れている部分が、本丸への入口「清水門」跡です。ここから入りますかね。

<清水門跡説明板>
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二の丸と本丸をつなぐ重要な門でした。

<内堀と石垣>
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清水門から見て右手の堀。2011年3月の東日本大震災により、この付近の石垣は崩壊し、しばらく一般の立ち入りは出来ませんでした。現在はこの姿。2015年4月に復興式が開催されたそうです。

<逆側>
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堀を通り過ぎて左手。ずっと奥が月見櫓跡。

<桜之門跡>
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いい感じです。ここから登ります。

<桜之門内側より>
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<三重櫓>さんじゅうやぐら
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字の通り、三重の屋根を持つ櫓(やぐら)です。ちなみに、二重なら二重櫓。一重なら平櫓といいます。

<三重御櫓絵図>
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現地の説明板です。


■戦略要地■
ここ白河は関東との境界に位置する奥州街道沿いの要地。いわば東北の入口です。古くから白河関(しらかわのせき)が置かれ、重視されてきました。
<駅前で撮影した地図>
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小峰城はそんな重要拠点の砦として、阿武隈川と谷津田川の間に位置する丘陵に築かれました。

■名門結城氏の城■
1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に城を築き、小峰城と名づけたのが始まりとされています。結城氏といえば、常陸国(茨城県)の名門家ですね。白河の結城氏も祖は同じです。一族の祖・結城朝光が白河庄に領地を得て、その子孫が移り住んだ。これが白河結城氏の始まりでした。親朝はこの白河結城氏の当主の嫡男。しかし家督は息子に継がせ、本人は別家として小峰氏を創設しています。

■奥州仕置■
その後も白河結城氏と小峰氏はおおむね良好な関係を保ち、互いに繁栄しました。しかし戦国期に入る頃にはその関係も悪化。いわゆる内紛が起きていました。更に外部からの侵攻も重なり、名門家は徐々に衰退していきます。そして1590年の秀吉による奥州仕置。小田原征伐に参加しなかった白河結城氏は、領地を失うこととなりました。白河は蒲生氏の所領となります。

■近代城郭へ■
江戸時代(1627年)に丹羽長重が10万石で入城。ここに白河藩が成立し、4年を費やして城は大改築され、近代城郭へ生まれ変わりました。

<三重櫓と前門>
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美しい佇まい。ともに1990年代の復元です。

丹羽氏?そうです。長重は、かつて織田信長に仕えた丹羽長秀の長男。秀吉の小田原征伐でも活躍しました。
しかし関ヶ原の戦いでは西軍に与したため失脚。徳川の世で、西軍はちょっとまずいですね。でも、それで終わらないのが丹羽長重の凄いところです。1万石の大名に復帰後、大坂の陣で活躍して徳川家に認められ、再び出世しました。小峰城の大改修は、領土なしから10万石にまでなった不死鳥の如き武将によってなされたわけですね。

<おとめ桜と石碑>
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城の改修の際、積み上げた本丸の石垣が何度も壊れました。そこで、なんと人柱を立てることに。その当日、最初に城に来た者という取り決めに従い、作事奉行の娘が人柱となりました。娘が埋められた所には桜の木が植えられ、「おとめ桜」と呼ばれるようになりました。
近代城郭へ変貌した大改修に付随して、そんな人柱伝説が語り継がれています。

<二の丸方向の眺め>
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分類は山城(平山城)でよいかと思います。

<逆側>
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城の裏手では、まだ修復作業が続けられていました。


■戊辰戦争■
江戸時代に多くの城主交代があった小峰城。歴代城主には、「寛政の改革」で知られる松平定信も名を連ねます。ただ全部ご紹介できないので、ちょっと(かなり)とばして幕末に話を移します。

諸事情(老中も務める藩主の失脚)により白河藩は幕領となっており、空き城となっていた小峰城は、二本松藩主の丹羽長国が預かっていました。そして1868年、丹羽長国は奥羽越列藩同盟として新政府軍と戦うことに。小峰城もその舞台となります。両軍は奥州街道の要衝だった小峰城をめぐって激突し、この時に城の大半は焼失してしまいました。

<本丸周辺の石垣>
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白河における両軍の戦いは、約百日にも及びました(1868年6月10日から8 月31日)。死者は千人を上回りました。この「白河口の戦い」は戊辰戦争全体のなかでも最大級の戦いであり、その後の両軍の運命に大きく影響したとされています。

<鎮護神山>
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本丸の東の鎮護神山。登った先には「戊辰薩藩戦死者墓」がありました。つまり戊辰戦争における敵方の墓ということですね。各地で戦死し、散在していた薩摩藩士の墓を合葬したものです。

<城内から撮影>
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会津藩・仙台藩を中心とした奥羽列藩同盟と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍が激突した地です。


■つわものどもが夢の跡■
<木造による復元>
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実質は天守閣の三重櫓。オリジナルは150年前の戊辰戦争によって焼失。これを鉄筋は使わず、かつての建築様式に従って木造により復元した貴重な建築物です。

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激しい歴史を刻み、後世の人の手によって蘇った城郭。日本100名城に名を連ねる素晴らしい城でした。

-------■小 峰 城■-------
別 名:白河小峰城・白河城
築城年:1340年
築城者:結城親朝
改修者:丹羽長重
城 主:結城氏・丹羽氏
榊原氏・松平氏 他
廃城年:1871年
[福島県白河市郭内]


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2018年08月22日

福島復興の城跡 名城の石垣

白河の小峰城にて

<小峰城の石垣>
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2011年3月の東日本大震災により、城の正面に位置するこの付近の石垣は崩れ落ちました。画像は震災前のものではなく、本日の姿です。立入禁止の期間を経て、2015年4月に復興式が行われたそうです。

まだ新しさが漂いますが、これから適度に自然が押し寄せ、深味を増してゆくのでしょう。東北を旅した帰り道、訪問することができて良かったです。とても感慨深い石垣でした。

<日本100名城>
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素晴らしい城郭。日本100名城に選ばれています。そしてまだ修復中。ということは、もっともっと魅力的にしてもらえるのですね。

ということで、メモ代わりの投稿でした。折角ですので、ちゃんと調べ直して再投稿させて頂きます。

2018.8.22


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2018年08月19日

緑の息吹 城郭に押し寄せる自然

会津の若松城にて

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美しさに圧倒されました。過酷な歴史と切り離しての話しですが・・・

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人の造りし物と、歳月をかけて押し寄せる自然の力。たぶんその調和の具合に心ひかれるのでしょう。

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圧倒されながら、美しさも感じる。

この感覚はどこから来るのでしょうか。

世界共通なのか、日本人独特なのか、私にはわかりません。ただ、命を謳歌する自然を、何となくそのまま受け入れる癖の如きものが、心の奥で作用しているような気がしてなりません。

また、城郭はいまもなお堂々たる佇まいですが、緑に覆われるさまは、方向性でいえば「朽ち」に向かっているのではないでしょうか。それを無意識に感じ取り、何となく受け入れている。ここでもやはり、朽ちることに価値を見出そうとする心の癖の如きものが作用しているような気がします。

自然を受け入れる。朽ちるものにも美を見出す。それらについて、どの程度を「心地よい」とするかは人それぞれかと思います。

ただ、心の根底で作用する癖の如きもの。これは多くの人が共有していることなのではないでしょうか。

<つわものどもが夢の跡>
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心の奥まで揺さぶられる城跡でした。


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2018年07月29日

二本松城のなごり 伊達政宗も板垣退助も攻めた城

つわものどもが夢の跡
今回の訪問は二本松城です。戦国武将好きなので、伊達輝宗・政宗父子と争った二本松氏の居城として訪問しました。しかし、そんな「中世のなごり」などは残っていません。江戸を通じて存続した二本松城は立派な近代城郭。日本100名城にも選ばれています。

<箕輪門>
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二本松城のシンボル的な門です。

■室町時代中期の築城■
奥州探題を命じられた畠山氏がこの地に入り、畠山満泰が当主となった時に現在の場所に城が築かれたようです。畠山氏が二本松氏を名のったのもこの頃ではないかと考えられています。満泰以降、二本松氏当主歴代の居城として約140年も続きました。長い歴史ですね。小説などの影響もあり、私のイメージする二本松城はこの時代の山城です。


■二本松氏と伊達氏■
二本松氏、つまり畠山氏は、足利氏の支流ですから名門家です。しかし奥州におけるその後の地位確立という意味では、伊達氏や蘆名氏にはちょっと及ばなかったようですね。

伊達氏の当主が輝宗の頃、二本松氏との関係は悪いものではありませんでした。まぁ適度に距離を置いて、お互いに出過ぎたことはしないという感じでしょうか。しかし若い政宗が家督を継ぐと、伊達氏と二本松氏の微妙な関係は崩れてしまいます。

この頃、米沢を拠点とする伊達氏、会津の蘆名氏、常陸の佐竹氏の3勢力による争いが激化しつつありました。どれも大大名クラスです。周辺の小大名にしてみれば、この三大勢力のどこと組むかで、命運が左右されます。血気盛んな伊達政宗は、ライバルの蘆名氏や佐竹氏に良い顔をする小大名を許さず、容赦なく滅ぼしました。

これに脅威を感じとった二本松義継は、昔から交流のあった政宗の父に歩み寄る姿勢を示し、交渉に訪れます。面会ば実現しますが、義継はなんと輝宗を拉致してしまいました。そのまま人質として二本松城へ連れ帰ろうとしますが、これを知った政宗に追い付かれ、二本松城に駆け込む寸前で戦闘となってしまいます。伊達輝宗は政宗に向かって「わしもろとも撃て!」と叫んだそうです。政宗は躊躇したものの、義継たちに向かって発砲を開始。両軍による激しい戦闘となり、万策尽きた二本松義継は、伊達輝宗を殺害し、自害して果てたそうです(粟ノ巣の変)。

この話には諸説ありますが、どれも壮絶な話です。この戦いのあと、二本松城は政宗に攻められ開城。一旦は難を逃れた嫡流もやがて命を奪われ、名門二本松氏は滅亡しました。

その後、伊達政宗はここ二本松城に片倉景綱(=小十郎)や伊達成実といった伊達家の実力者を城代として配置しています。重要拠点という証ですね。しかし秀吉の「奥州仕置」により、伊達の支配は終焉をむかえます。

<城内>
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歴史が長いので、いつの時代かわからない遺構をたくさん見かけました。


■戦国期以降の二本松城■
戦国の混乱期から江戸初期にかけては、蒲生氏上杉氏加藤氏と、支配者は次々に変わります。しかし1643年に二本松藩が成立し、初代藩主として丹羽光重が入城すると、丹羽氏10代による統治が幕末まで約220年続きました。戊辰戦争の難局に際しても城主は丹羽氏です。丹羽長国でした。新政府軍に攻められ、1868年9月15日(慶応4年7月29日)に落城しました。

<二本松少年隊群像>
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戊辰戦争で藩のために戦った少年兵の像です。こちらについては別途記事を投稿しましたので、良かったら覗いてみて下さい。
→『記事へ進む

<説明板>
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二本松氏が築いた山城は、江戸時代にはそうとう広い城郭となっていたようですね。現在の市街地の北側に位置しています。標高345mの「白旗が峰」に築かれ、別名・白旗城とも呼ばれています。手前の大手門からの比高は100m強です。

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城そのものの廃城は明治になってから。この時、残っていた建物も全て破却されました。


■霞ヶ城公園■
長年かけて門や石垣が復元され、美しい城址公園となっています。

<箕輪門と附櫓>
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1982年に復元されました。

<高石垣>
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<隅石>
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<土の遺構>
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<水の豊かな城内>
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もともと水に恵まれていたと思われます。

<城内の用水路>
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しかしここまで充実しているのは、丹羽光重が城内に水を引くために築かせた水路によるものです。光重は10年かけてこの城を改修しました。

ざっとですが城内はこんな感じです。実際に天守閣があったのか不明ですが、現在天守台も復元され、見どころとなっています。


■つわものどもが夢の跡■
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独眼竜こと伊達政宗が攻めた城。そして、板垣退助率いる新政府軍が攻めた城です。交通の要衝に位置する城には、深くて長い、そして壮絶な歴史が刻まれています。

-------■二本松城■-------
別 名:霞ヶ城・白旗城
築城年:室町中期(1441年頃)
築城者:畠山満泰
改修者:丹羽光重
城 主:二本松氏・伊達氏
蒲生氏・上杉氏・丹羽氏ほか
廃城年:1872年(明治5)
現 状 : 霞ヶ城公園
[福島県二本松市郭内]


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-----追 加-----
<二本松神社>
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二本松駅の近くです。
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二本松藩の総鎮守として信仰されていました。

-----おまけ-----
<駅前の交番>
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なんとなく心が和みました

<明日は仕事>
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ぼちぼち、帰りますかね


タグ:日本100名城
posted by Isuke at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

二本松落城の日 二本松少年隊

本日は二本松城が落城した日です。

<二本松少年隊顕彰碑>
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二本松藩のために戦った少年隊の雄姿です。背後の女性像は、出陣服を仕立てる母の姿です。

■二本松城■

shirononsgori250 (7).jpg

二本松城というと、皆さんはどんなことを連想しますでしょうか?
伊達輝宗・政宗と争うことになった二本松氏の居城。江戸時代の近代城郭。そして日本100名城の一つ。それが私にとっての二本松城でした。そんな漠然としたイメージだけです。それだけに、実際に訪問し、目の当たりにした少年隊の碑はショックでした。何も知らない。情けなく、申し訳ない気持ちになりました。

戦国武将好きが転じてこんなブログをはじめましたが、江戸から明治にかけてはあまり関心がなく、無知です。戊辰戦争についても曖昧な認識のまま。鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍が、関東から東北の抵抗勢力を次々と服従させ、函館の五稜郭でようやく内戦が終結した。そんな程度です。

■二本松少年隊■
東北戦争における少年兵というと、まず会津藩の白虎隊が思い浮かびます。飯盛山で自刃。世間によく知られた存在ですね。ただ、似た悲劇は二本松藩でもおきていました。

10万石の二本松藩の兵力は2千人弱。農民兵を含んだ数のようです。既に援軍として白河へ兵を送り出していため、城を守るには人手不足。この状態で迫りくる新政府軍と戦うことになり、老人、そして少年までも戦に参加することになりました。

更に、二本松藩では、いざという場合は少年の年齢を2歳加算するという独特の制度があったようです。つまり、実年齢より高い年齢として出兵させるということですね。この結果、最年少の兵は12歳となりました。

<長い坂道>
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駅を出て二本松城へ向かう途中の坂道です。まだまだ城跡まで距離がありますが、この辺りが大手門付近。そして戦場でした。二本松城の戦いは、終始籠城戦だったわけではなく、兵は城を飛び出して新政府軍と戦いました。

<少年隊 小沢幾弥 戦死の地碑>
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坂の途中の石碑。歴史資料館前にあります。詳細はあとからネット検索しました。
『師の朝河八太夫(砲術師範で朝河貫一の祖父)とともに出陣し、共に重傷を負う。
師を背負いながら退去の途中、大手門前で朝河八太夫の絶命を知り、屍を手で掘り埋めたといいます。その後土佐兵と遭遇したが、精根尽き果てたためか介錯を頼み、その場で絶命しました。』(出典:二本松市観光連盟ホームページ2018/7/29)


17歳だったそうです。息も途絶えそうな少年は、近寄る兵に「敵か味方か?」を尋ねました。その姿に同情し、新政府軍の兵は「味方だ」とこたえたそうです。少年は手振りだけで介錯を求めました。

こうした石碑はここだけではありません。訪問時の私に知識がなく、この石碑としか出会えませんでした。


■落城の日■

<箕輪門>
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江戸時代に整備された立派な城郭です。そして、実戦を経験することになりました。

<城内>
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水が豊富な城という印象です

戦況は圧倒的に不利。藩の重臣たちは抵抗を断念すると、城に自ら火を放って自害しました。二本松城と運命をともにしたわけですね。

慶応4年7月29日
二本松城は落城しました。

ただ、これにより指揮系統が遮断され、少年兵たちは戦場をさまようことになりました。これが更なる悲劇となったようです。ネット検索の結果をそのまま転記すると
『二本松藩の死者は218名に及び、その中には13歳から17歳までの少年兵18名も含まれている。』
(出典:Wikipedia 2018/7/29)
とのことです。


■士気の高さ■
二本松藩は、会津藩同様に忠君愛国の教育が浸透した藩。少年兵は、戦況を知った者たちの志願によるものだったそうです。また、藩としても苦渋の決断であったと伝わります。ただ何がどうかより、時代の流れが、まだ子供というレベルの命を奪ったことに変わりはありません。

<二本松城正面>
shirononsgori250 (2).jpg
急遽徴兵されたことから、二本松少年隊と名付けられたのは戦後の話だそうです。

こんな弱小ブログで、だからどうとか言うつもりもありません。ただこの光景を無関心で通過することはできなかった。ということは、同じ思いがした人はたくさんいるのではないか。そんな思いで、取り上げさせて頂きました。

<別名・霞ヶ城>
shirononsgori250 (8).jpg

最後までお読み頂き、ありがとうございます。


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タグ:日本100名城
posted by Isuke at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]

2018年02月05日

水堀に積もる雪 米沢城の冬

ある程度まとまった休暇がとれるのは夏から秋。旅もその時期が多くなります。ただ何度も山形を訪問するうちに「冬を肌で感じないと」いけないような気持ちになり(ちょっとこういう点においてバカです)、無理矢理休みを取って訪問しました。住むことはできませんが、ちょっとだけでもと思い・・・

■米沢城■本丸跡
<水堀>
shirononagori196yomezawa (1).JPG
雪が降り積もる米沢。きゅっきゅっと雪を踏みしめてかつての本丸付近を探索。ここは水堀です。凍った水面に雪が積もり、遠くの方は境界線もはっきりしません。私の憧れる上杉家の皆さんも、こんな景色を見ていたのですね…。

それにしても誰とも合いません。とても静かで、自分の足音しか聞こえない。白い雪に足跡をつけながら、とぼとぼと一人歩き続けました。


■上杉家御廟所■うえすぎけごびょうしょ
<上杉家墓所>
shirononagori196yomezawa (2).JPG
上杉景勝から始まる米沢藩主たち、そして謙信公のお墓です。すっかり雪に覆われています。

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何度も訪問していますが、いつもにもまして毅然と映ります。

今回の訪問で、寒さと足元の悪さだけは実感しました。ただ私が訪問した日は、曇り時々雪で風は少なめ。地元の人にしてみれば、穏やかな日だったのかも知れません。

雪はしんしんと降るだけでなく、激しく降ったり、あるいはずっと降りつづけたり・・・。これと向き合うには、旅行者の私などが想像もできない覚悟が必要なのでしょうね。まぁこの地で生まれ育った方は、その覚悟も準備も当たり前に身に着けているのかもしれませんが・・・。


(再び米沢城跡)

<上杉鷹山公>
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鷹山公はもともと江戸の出身。日向高鍋藩主の次男であることから、九州の出身という誤解もありますが、生まれたのは江戸藩邸です。名門・上杉家の養子となり、十代後半で米沢へ移るわけですが、最初はまいったでしょうね。

家臣は言う事を聞かない、藩は破産寸前、そして江戸と比べるとそうとう寒い。鷹山公はそれでもめげませんでした。まぁ「まいったなぁこりゃ」くらいは思ったでしょう。でも、現実を受け入れる。そして自分がなすべき事をする。本当に強い方ですね。

なせば成る なさねば成らぬ
何事も成らぬは 人のなさぬなりけり

画像左側の石碑に、その名言が刻まれています。 

ということで、冬の米沢でした。
今年は関東も寒く、平野部でも雪が積もりましたね。米沢とは比べものになりませんが、春が待ち遠しいです。

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posted by Isuke at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 城跡[東北]
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