今回は山形駅から山形城へ向かう途上で出会った武将の話です。
<山形市内>
雰囲気からしてどこそかの文化人?かと思いましたが違いました
<斯波兼頼>しばかねより
えっ!あの斯波兼頼ですか
山形城の築城者です。そして羽州探題最上氏の祖となった武将。何度文献を読んでもそれ以上は頭に入りませんが、それだけは確かです。そんな武将との予期せぬ出会いに感謝しました。
ただ…
私にとって山形城といえばまず最上義光。そして最上家といえばまず最上義光。そんな感覚で漠然と想像する斯波兼頼つまり最上兼頼は、もっと勇ましくなくてはならない?のですが、あまりにも優しそうな雰囲気なので、ちょっと拍子抜けしました。
<最上義光像>もがみよしあき
山形城の最上義光像です。厳しい戦国時代を生き抜いた出羽の虎将。最上家第11代当主です。
まぁ最上家歴代当主がみんなこんなイメージなわけないですね。はい。
<最上家初代>
最上家初代の兼頼は、源氏の名族である足利家の血筋で、南北朝時代に北朝方として活躍した武将です。父は奥州探題の斯波家兼、兄は奥州管領家の大崎氏の祖となった直持です。山形城を築いたのは1356年。それ以降、山形城は最上家代々の居城となりました。
<晩秋の山形城>
いつも最上義光を意識して訪問していますが、城の始まりは羽州探題として山形に入った斯波兼頼ということですね。街なかで銅像に偶然出会ったおかげで、再確認する機会を得ました。
■訪問:
斯波兼頼公像
(すずらん通り)
[山形県山形市香澄町]
山形城
(霞城公園)
[山形県山形市霞城町]
■参考:
・Wikipedia:2021/11/28
お城巡りランキング
2021年11月28日
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