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2019年12月14日

上杉の町の武田武士のなごり(米沢市)屋代町

米沢城本丸跡からの帰り道
小さな標柱に足が止まりました。

<屋代町上の町> やしろまちかみのちょう
sn390 (1).JPG
屋代町?

ここは現在の住所だと米沢市丸の内です。どうやら旧町名が記されているようです。わざわざ記してあるには理由があるのだろう。そう思って側面の説明文を読んでみると、なるほど、納得でした。

<米沢市の説明文>
sn390 (3).JPG
抜粋すると『信濃の屋代から移ってきた侍が住んでいたとされている』とのこと。その補足説明としてしっかりと『武田氏滅亡後、信玄の6男信清をはじめとして上杉氏に帰属した侍が多くいた』と記されています。地名の由来として他の諸説も記載されていましたが、もう冒頭のこの説明だけで満足してしまいました。

まず
武田信玄の娘である菊姫が上杉景勝の正室となり、武田滅亡後にはその弟・信清が姉の縁を頼って上杉氏に属した。ここまでは有名なお話ですね。直江兼続のお墓があることで知られる林泉寺を訪ねると、境内には武田信清のお墓もあります。信清は甲斐武田家のあとは上杉家の家臣となり、越後・会津を経てここ米沢で没しました。はい。

では標柱の何が満足なのか

武田信清がたった一人でやって来るわけないですよね。仕える者も多かったでしょう。また、信清を頼って集ってくる旧武田武士もいたでしょう。なんといっても、あの武田信玄の血族ですからね。そんな当たり前のことを考えたこともなかったので、妙に新鮮でした。武田信清は明治まで(そして現在も)続く米沢武田家の祖です。それに従う旧武田武士たちが米沢城下で暮らしていた。ごく自然なことです。

<武田武士のなごり>
sn390 (2).JPG
場所は米沢城本丸跡の東側です。本丸に近いこんな場所に住んでいたのですから、上杉家臣団のなかでも重要な役割を担っていたのでしょうね。

■訪問:屋代町上の町標柱
(上杉城史苑の東側)
[山形県米沢市丸の内]1丁目



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---------■ 参考画像 ■---------

<武田信清の墓> たけだのぶきよ
Rinsenji-Tkada-Nobukiyo.JPG
こちらは林泉寺武田家墓所の画像です。気持ち遠くから撮影させて頂きました。中央奥(五輪塔が目印)が武田信清のお墓です。
[山形県米沢市林泉寺]1丁目
posted by Isuke at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]
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