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2016年03月04日
観劇 August Wilson「Ma Rainiey's Black Bottom」01
写真はWEBより拝借いたしました
観劇 August Wilson「Ma Rainiey's Black Bottom」01
Ma Rainiey は彼女の類稀な才能 努力 によって 黒人アーチストとして世にで 黒人たちの夢 であり
希望 であります
物語では 彼女の吃音のある甥を 強引にレコーディングに加え パラマウントにその甥へもギャラを支払わせます
「ブルースの母」と 呼ばせるまでに至る 白人による搾取の苦い日々を乗り越え 勝ち取った
白人への当然の報いのなのでしょう
しかし物語は むしろ彼女のバンドマンたちによりむけられております
彼女程の才能には恵まれずも しかし 努力と才能でプロの音楽家として身を立てる 黒人バンドメンバー
Clint Dyer, Giles Terera, Lucian Msamati, が 黒人バンドマンの味をテンポ良く 演じております
そして 特筆すべきは Leverr/トランペット奏者 演じる O-T Facbenle
白人の父親による 家庭内暴力で 母を失い 幼少時からの虐待で不安定に陥りやすい性格を その危うげさを
身体表現も加え見事に演じ 観客を魅了 O-T Facbenle が生み出す物語に心を奪われてしまいます
久々 境界を超え 観客をあの世の狭間へと誘う 稀に見る俳優です
O-T Facbenle 以外に誰が Leverr を演じれるだろう
今後のO-T Facbenle の演目から眼が離せません
と たのしい演劇の日々
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2016年03月01日
観劇 August Wilsonの「 Ma Rainey's Black Bottom」 National Theatre
写真はWEBより拝借いたしました
August Wilson(1945-2005)
白人による黒人搾取 人種差別 の歴史が 今も 個人個人に暗くのしかかり人生を狂わせる
人種差別 宗教をテーマに ピューリッツァー戯曲賞をも受けています
アーサー ミラーの「セールスマンの死」同様 米の戯曲 は 英のものとは随分違うのです
その違いを言葉で説明するには どう言えば良いでしょう
幕が降りた後 それは判明するのですが 観劇を終え 物語を堪能した観客から醸し出される雰囲気
それは 劇場全体のを覆うので それと知ることができます
今回 August Wilsonによる米の戯曲は 大層違う と印象を受けました
観客も 黒人と白人が 半々で 夫々の立場で August Wilsonの物語を観たのです
Ma Rainey ブルースの母と呼ばれた実在の人物 彼女のアルバム Black Bottom 1927 シカゴ
白人の経営するレコーディングスタジオで物語は進行します
1984 ブロードウェーで初演を迎え 1989 英 National Theatre で公演されております
2003 には Whoopi Goldberg が Ma Rainey をブロードウェーで演じました
今回の公演では Sharon D Clarke West Endのミュージカルで名のしれた女優です
ところが 実は物語の中心はMa Rainey ではく
彼女の率いるバンドメンバーなのだと終幕の悲劇で観客は知らされます
渡英後 たくさん人種差別を体験しておりますが 白人による黒人奴隷商は決して忘れてはならない
人類による負の歴史です 今年も白いオスカーだと黒人俳優が声を上げました
差別され虐げられた側に立たなければ解らない 表現し続けることが必要なのです
と たのしい演劇の日々
2016年02月28日
俳優修業Peter Warnockの「Lights Camera Upload!」 Acters Center London
写真はWEBより拝借いたしました
俳優修業Peter Warnockの「Lights Camera Upload!」 Acters Center London
近頃オーディションは オーディション用ビデオを撮り キャスティングディレクターへ送る 或いは
Skypeオーディション が多く行われるようになっております
Skypeオーディション では パソコンのカメラ マイクを使い 快晴な昼間ならば自然光の元 夜ならば
明るい灯りを使い そして カメラに現れる背景を少し考慮し 白い壁 壁の無い場合は 背景用に
ボードやカーテンを用意しておき キャスティングディレクターが こちらの姿を よりよく判明でくるよう
少し工夫しさえすれば あとは 楽しく skype でオーディションとなるのですが
ビデオ撮影となりますと しかも 近頃はもちろん スマートフォンを使っての自撮り な訳ですから
どの程度の質でオーディションビデオを用意すればよいものか 頭痛がしておりましたおり
Acters Center London に講習を見つけましたので 参加いたしました
講師は Peter Warnock 俳優 演出家 ボイスコーチです
しかし結果から申しますと 俳優がそこまでしなくてはいけないのだろうか? と疑問を覚えました
お金を掛けず でも 質の良い オーディション用ビデオを作る
その為 専用のマイク 照明器具 を用意しなくては なりません
マイクの使い方はそれほど問題ありませんが 照明器具の使い方は 映画カメラ撮影 舞台照明等で
照明について知識がある方が有利です
また 撮影の後 パソコンソフトを使って編集をしますので これも編集ソフトの使い道 編集の仕方を
知っておくと より良いものを創り出すことができます
なので 年配の俳優で パソコンもやく使えないとなれば ころは容易には行きません
オーディションに向け 台詞も覚えながら このビデオを作成する これでは俳優の負担が大きすぎます
しかし グローバルな興行界にあって ビデオオーディションは当たり前の事になりそうです
と たのしい演劇の日々
2016年02月21日
観劇Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場02
写真はWEBより拝借いたしました
観劇Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場02
魅力のある俳優を舞台上に見いだせないのは とても残念なことなのです
Carole Karemera, Jared Mcneill, Ery Nzaramba, Sean O'callaghan
よく演じました 台詞の運びは見事でした
しかし 魅入れなかった 何故なのでしょう?
Peter Brook は 観客と物語を分かち合う 俳優の創造性を最も理解し
舞台づくりをやってきた演出家であると確信しております なので
舞台上の俳優の生きがよろしくないのを 観客の立場で見せられるのは
何か別の演出意図でもあるのかと考えてしまいます
俳優とは 此岸 と彼岸の 狭間に物語を展開し 観客を誘う者 であろうと 認識しております
その為に 境界を超えるのです
Peter Brook「Battlefield」は 何百年に及ぶ戦争のはて 累々たる屍の野で
死者なのか生者なのかさえもう定かでない存在が 人間の不条理を語ります
俳優に魅力がない 日常レベルのエナジーで まるで幽霊のように舞台に存在する
それはそれとして この演劇を実現しておりますが
俳優の在り様は もっと違ってよいように思えるのです
と たのしい演劇の日々
2016年02月17日
観劇 Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場 01
写真はWEBより拝借いたしました
観劇 Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場01
観劇後 時の経過と共に じわじわと印象が浮かび上がってまいります
Peter Brook の魔法は未だ効いたままのようです
パンフレットにあります 監督 Peter Brook のノートの意訳を試みましょう
劇場は歩みの過程にある その過程で 毎日 何かが動き発展していく
『何時 演劇は成され また あなたは世界救済を企てているのか?』とよく問われる
10人の俳優が集い 初日は随分違う雰囲気でいるのだが 私たちは共通の目的も持ち それは眼下にある
フットボールの選手は瞬時に判断し行動すだろう と同様に
何かが毎日行動し発展している
この小さい世界は 絶えず動いている
稽古時間はいつも大変短いのだが それ故の重圧により集中力を増す それが俳優たちに親近感を生む
俳優たちは一緒に仕事をこなしながら一体となる 物語を共有し そしてそれは観客なしには成り立たない
しかも 時間は有限であることも理解している
時にそれは 8週間の公演に向け 稽古の残り時間は僅か3週間であることもある
シェークスピアの「真夏の夜の夢」 では ストラットフォードで10週間だった そして
「マハーバーラタ」は 我々自身の劇場で 自身に叶った稽古計画で 10年を費やした
何が面白いかと言えば 質の悪い観客は存在しないと云うこと
観客は 多様で大量であればあるほど良い
緩やかに 観客は 我々を受け入れ それは 我々にとって試練であるが 遂に観客は勝ち越す
我々は稽古を重ね それはとても神秘な出来事なのだが
俳優たちは 物語と共に一つと成る
そして ころこそ試練なのであるが 物語が終わり 観客たちの喝采を待つ 束の間の沈黙の瞬間
その瞬間こそ 劇場の仕事における最上の報奨だろう
と たのしい演劇の日々
2016年02月15日
観劇 Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場
観劇 Peter Brook「Battlefield」Young Vic劇場
この作品は 上演時間9時間に及ぶ前作「マハーバーラタ」を練り上げ
一時間弱に仕上げたものなのだそうです
日本のパルコ劇場提携で もうすでにご覧になった方もおられることでしょう
「The Mahabharata」 penguin classics版を読んでおりますが 延々と戦争を繰り返す物語の中に
ヒンズー教の世界観が描かれており ギリシャの古典同様
人間と神存在との綾なす怪しげで混沌とした叙情詩は しかし
その壮大な宇宙観により 存在の源 魂の琴線に触れる 体験を覚えます
写真はWEBより拝借いたしました
さて 舞台はと言いますと インド人の俳優陣を期待しておりましたので
もちろん人類の起源は アフリカ説なのですが
この物語はやはり ガンジス河と己の魂を共有した俳優陣に演じてほしかった
黒人俳優が ラップの調べでガンジス河を語りましても あの偉大な河の存在を信じることができません
いやむしろ アフリカのザイール河 或いはアメリカのミシシッピ河の匂いが流れてくるように思えました
しかし 皆優れた俳優たちです
まず肩の力がよく抜け 叙事詩ですから 台詞は歯切れよく そして
呼吸のリズムを観客のそれと歩調を合わせるように語られます
その俳優たちの舞台上での在り様は 独特な劇的雰囲気を作り上げており
それは大層素晴らしいことで 観客を物語へといざないます
演技もいたってシンプル なのですが 多少日常レベルが気になりました
言葉と身体所作にギャップを覚え もう少し シンプルだけでなく 舞やマイムに近い 振り を意識すれば
より この作品 「マハーバーラタ」の宇宙を描けるのではないでしょうか
それでも 魔訶不思議な雰囲気に覆われ しばし夢心地に満足いたしました
と たのしい演劇の日々
2016年02月08日
人智学演劇本 Dawn Langman「The Art of Speech」15
写真はWEBより拝借いたしました
人智学演劇本 Dawn Langman「The Art of Speech」15
の意訳をホンの少しづつですが 続けております
彼女の文章は シュタイナー本同様 とても難解なのです
彼女の霊的体験より得た知恵を言葉に移し替える難しさ所以でありましょうか?
発声器官
世界を定義する 異なる作法を探索することで 思考 感情 行動に影響し 私の知覚は変化した
この変化はもちろん 発声器官 その小さな働きにも変化を生じている
我々の発声器官と 思考 感情 行動 この三つの 魂の作用の間には 緊密な関係がある
1. 感情 唇前部 歯の前部 舌先
2. 思考 口蓋中央部 歯 舌も含む
3. 意志/行動 口蓋奥 奥歯 舌の付け根も含む
想像力を用い発声器官を分析してみる
我々の前提は 宇宙/天地万有は 恣意によらない
知恵は 舌 唇 歯 口蓋との連動によって作られた 音の中で働く
人類の 血一滴に 手脚に 眼の虹彩に その神秘は 刷り込まれている
発声とは 人間性から引き離された 単に発声器官を優れて発達させた 結果ではない
発声を習得するとは 発声器官を生理学的に理解した上で
我々の起源の違った捉え方の元に 芸術性の神秘の鍵を開けることだ
我々はパンのみによって生きているのではない 神の言葉により生かされている
(聖マタイの福音より)
晩餐会 さあ美味しいワイン よく熟した言葉 を馳走になろう
と たのしい演劇の日々
2016年02月06日
演技 台詞を覚える
写真はWEBより拝借いたしました
演技 台詞を覚える
台詞を覚える それは大仕事であります 年齢も手伝い 更に加え 外国語(英語)です
台本を読み 意味を組み取り 状況を理解し 情景を思い描きながら 知らない単語を調べ
Oxford DictionalyWeb版を利用しております
発音記号を書き込み 発音を聞き 何度も繰り返し発声し 読み進みます
ト書にある 役の所作 感情等 必要な個所を色鉛筆でハイライトいたします
相方の台詞も声に出して読みます
役の台詞を色鉛筆でハイライトいたします その際
一番伝えるべき単語 重要な単語をはっきりハイライトし 他の単語は 弱めにハイライトをつけます
台詞の横の空白部分に 物語の流れを 視覚で捉えるのを助ける為に 簡単に絵を描きます
合間 合間に 唇と舌を マッサージします
台詞で 物語を 語る レベルに至るまで 何度も 何度も それこそ何度も
繰り返し声に出して シーンを読み続けます
カメラ演技の場合 ステッピングはいたしません
大概 オーディションの場合 数日しか頂けません
もちろん プロダクション側は 西アジアの俳優を探しているわけですから
流暢に英語を喋る必要はないのです でも 観客に伝わる英語で物語を喋る に至る努力をいたします
しかし 時間は限られておりますので 出来るところまでで 良しとします
才能ある監督は 俳優の可能性を見抜きますから 上辺を作ろうことに無駄な時間は無用なのです
と たのしい演劇の日々
2016年01月31日
演技 「演劇の神様」
写真はWEBより拝借いたしました
「芝居の神様が降りてくる雰囲気が味わえることを今から楽しみにしています。
精いっぱい、準備してのぞみたいです」
テレビ映画にと活躍する香川照之 歌舞伎名 市川中車 は 四国こんぴら歌舞伎大芝居 香川県琴平町にある
現存する国内最古の劇場(1835年 天保6年に棟上げ) 旧金毘羅大芝居 での公演 に初出演なのだそうです
NHK ニュースのインタビューに こう語っております
ところで芝居の神様とは?
歌舞伎は 出雲のお国をその始まりとすると演劇の歴史で習いました 神事の関連はなく
むしろ庶民の娯楽として 江戸時代にさかえました
香川県金刀比羅宮は 大物主 (蛇神 水神 雷神 の性格を持ち 稲作豊穣 疫病除け 酒造りの神) を
祀るのだそうです
日本演劇の神さまは
天岩戸にお隠れの天照大神は 八百万の神々が歓喜するのに動じ 岩戸をお明けになる
その魅力的な演舞で八百万の神々を魅了した あめのうずめ でありましょうか?
波水蒼(Hamina) さんは ブログhttp://haminablue.blog.fc2.com/blog-entry-38.htmlで 演劇の神様 を
こう書いておられます
演劇の神様というのが,
もし存在するのだとしたら。
演技などの研鑽を積んで舞台に立つ者の,
その努力や運に呼応して“降りてくる”のだと思っていました。
その神憑り(かみがかり)というのは,
好機に恵まれて演技に神が宿ることだと,
そう信じてきたから観続けていたし,
そう信じているからこそ役者は頑張り続けられる,
のだと今も思います。
だけど。
ちょっと違うのかもしれない。
自分自身の外側,
自分ではない他空間,
どこか見知らぬところに演劇の神様がいるのではない,
気がしてきたのです。
演劇の神様というのが存在するなら。
それは等しくその人自身の中に,
初めから備わっているのではないか。
最初から内在している気がしてきたのです。
だったらどうして大根役者がいるのか?
なぜ演技のイマイチな演者がいるのか?
その人々の神はどこへいったのか。
違う。
ドコカにいってしまったのではない。
ただ,内在する神様を,使いきれてないんだ。
内側に佇んでいる神様を,
その人の皮膚や筋肉や骨格へと,
呼び出しきれていないだけなんだ。
召喚,同調が上手くいっていないだけ。
神様は「才能」と言いかえられるかもしれない。
才能はどこか別のところにあるのではなく,
既に自分の中に居て,
ちゃんと存在しているんだ。
ただ,それを行使しきれていないだけなんだ。
たぶん。
その神様だか才能だかを,
ナカに入れたりソトに出したり,
出入れ自由自在にするために努力が必要なのであり,
その出し入れが自在に成ってしまった人は,
たぶん“天才”にしか観えないのだと思う。
今日,観たんだ。
自分の中の演技の神様みたいなのを,
1秒刻み,コマ刻みで,出し入れしてる人。
演技が上手い,とかじゃないです。
怖かった。
畏怖です。
嗚呼,僕はもう,しばらく,演劇は要らないや。
これが観たくて,
こういう人に会いたくて,
観てきたんだ。
今,1年ぶりに僕の指先,僕の爪の先まで,僕がいる。
神憑りを観て,僕の中の深いところのナニかが,呼応する。
この文章を読みながら 胸は高鳴り 背筋がゾクゾクいたしました
あまりに 素晴らしい文章でしたので 波水蒼( haminablue)さんの事前許可なく拝借しております
著作はご本人にあります ご容赦ください
と たのしい演劇の日々
2016年01月27日
観劇「Forget me not」BUSH Theatre
観劇「Forget me not」BUSH Theatre 於いてTom Holloway作
大英帝国の時代 占領国の英国化の為 自国の望まれない子供たちを 労働力として送り出したのでした
教会や慈善団体も手伝って 恵まれない子供に 暖かい家族愛と教育を提供するプログラムであると謳い
豪の劇作家 Tom Holloway は英国歴史の恥を暴きます
BUSH Theatre 新作専門 客席数200弱の小さな劇場 今作では 四角い舞台の三方を客席に設え
以前訪ねた時とは違った舞台設置に 劇場の在り様の可能性を感じます
余りに哀しい物語で 涙無くしては台本を読めませんでした
チケットも完売で 当日窓口で戻り券を待ち 大いに期待したのでしたが 役者が如何せん
観客の夢を壊してしまいました
主演は 豪へ移送された子供 現在60代の父親 Russell Floyd が演じます
英国お茶の間で人気の俳優ですが 上演中 ずーっと肩に力が入っておりまして
幼児期のトラウマに苦められ 酒におぼれ 家族へ暴力をふるう 狂気 苦悩 壊れかけた人間性の
複雑さが見えてきません
そして母 Eleanor Bron が演じます 慈善団体と教会に丸め込まれ 或る日突然 子供を失う
回想シーンに 絶望的喪失感 孤独 貧困 社会から虐げられた人間の業の深さ が伝わってこないのです
歴史的に意味深い戯曲を演じ切れておれません とても残念です
物語を生かすのは 観客とコミュニケーションを取る 俳優の仕事です
実話であり 筋を追いやすい戯曲ですから 観客は自身の中で物語を膨らませることができます
実力のある俳優は 観客をどんどんその物語の世界へと引き込むのです ところが
観客が描く物語を 俳優の現実の姿が つまり役になりきれていない役者の生の姿が介入してきま来
夢見る観客を現実へと引き戻してしまうのです
どのように配役はなされるのでありましょうか? 機会があれば是非 その経過を尋ねてみましょう
と たのしい演劇の日々