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2017年12月06日

黄金の夜明け団と演劇22-01

黄金の夜明け団と演劇22-01

Chapter 4-2-8

アーサー.マッケンArthur Machen(1863-1947 )

1903 再婚により 生活に活気を取り戻したマッケンは 
ケルトキリスト教Celtic Christianity  聖杯 Holy Grail  アーサー王伝説King Arthur を
テーマにケルト研鑽をつみます

『The Academy(1869-1902) 英文学誌 』
アルフレッド・ブルース・ダグラス Lord Alfred Bruce Douglas (1870 – 1945 
英詩人作家 翻訳家 オスカーワイルドOscar Wilde (1854 –1900)  の愛人 
が編集長の折(1907-1910)  に評論を投稿

1906『The house of soul 』出版

1907『夢の丘 The Hill of Dreams 』出版

1910 Evening News(1881-1987 英新聞王 初代ノースクリフ子爵
アルフレッド・ハームズワースAlfred Harmsworth 1st Viscount Northcliffe 1865 - 1922)
 ジャーナリズムは不本意であったが経済安定を優先し 専属筆者となる
 がそこで1914/9/29『弓兵The Bowman 』の投稿が 一気に彼を時の人とする

百年戦争中の1415/10/25フランス領アジンコートの戦い で
守護聖人ジョージが召喚され英軍勝利を導いた という寓話の再現である

教会誌にも要請を受け  
『弓兵 戦争に纏わる伝説The Bowmen and Other Legends of the War (1915)』 投稿

更にアルフレッド.シネットAlfred Sinnett (1840–1921 英作家 
神智学協会ロンドン支部会長) 協会誌『 the Occult Review』にて
超常現象として紹介され これにより マッケンは自作『弓兵』と 
モンスの天使出現について踏査する
 
モンスの天使 WW1 1914/8/23 処はベルギーのモンス前線 
英海外派遣軍はドイツ軍に包囲され がどこからか弓兵が出現し 
敵軍目掛けに矢が放たれ 英軍は無事退却 しかし不思議な事に
  打たれた敵兵に傷はみられなかった と語られる超常現象  

1915/4/24 『心霊主義者Spiritualist』 冊子に 心霊現象として取り上げられる

1915/5/00  心霊術の流行りもあり 世間は天使出現に沸き返る 
マッケンは高揚を静める目的で 更に8月 リファレンスを大きく書き加え
この戦時に纏わる伝説について本を出版 が 更に大衆を煽り ベストセラー作家となる 

マッケンの『弓兵』現象は戦意を高めるプロパガンダに大いに利用される事となった 

次回へと続きます

と たのしい演劇の日々
    

2017年12月03日

黄金の夜明け団と演劇22

arthur-machen00.jpg



           マッケン 写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇22

Chapter 4-2-8


アーサー.マッケンArthur Machen(1863-1947 )

スティーヴン.キング Stephen King (米怪奇小説作家1947-) は
マッケンを英語圏で最高の怪奇小説作家であろうと云う

父親は代々英国国教会牧師の家系 
モンマスシャー ウェールズの古都 牧師館で育つ 
ケルト ローマ 中世文化が織り交ざった地域色が作品にエキゾチックな雰囲気を与える
 
オカルトへの興味は幼少より興味を覚えた父の蔵書に遡る

ディケンズCharles Dickens (1812 – 70)編集による週刊誌
『Household Words(1850-59)』に紹介された『錬金術』に 8歳で出会い 

その他
トーマス.デ.クエンシーThomas De Quincey (1785 – 1859) の『阿片服用者の告白(1822)』
『千夜一夜物語(1706英訳版)』
ミゲル.デ.セルバンテスMiguel de Saavedra(1547– 1616) の『ドン・キホーテ(1605)』
エディンバラ初代准男爵サー.ウォルター.スコット Walter Scott (1771–1832) の
『ウェイヴァリー小説群 』
初代男爵アルフレッド.テニスンAlfred Tennyson(1809 –92) 初期詩集を愛読し育つ


11歳で英国私立学校 入学Hereford Cathedral School(1384設立)
で優秀な成績を収めるが 経済的理由により大学進学をあきらめ 
親の進めもあり医者を目指すも試験に失敗 
ジャーナリスト 出版社事務 教師で糊口を凌ぎつつ  

1881 『エレウシスEleusinia』 エレウシスの秘儀 をテーマに長編詩出版

フランス語本の翻訳出版 
ルネサンス期王族マルグリット・ド・ナヴァルMarguerite de Navarre(1492-1549)の
『エプタメロンHeptaméron七日物語(1558)』

Béroalde de Verville (パリ1556 – 1626)の 『Le Moyen de Parvenir /Fantastic Tales(1617)』

ジャコモ・カサノヴァ(1725-98)の 『カザノヴァ回想録(1826)』

1887 Arthur Edward Waite (1857 – 1942 ウェイト版タロット制作者 GD会員)
   の紹介により 音楽教師/熱狂的に演劇を愛する Amelia Hogg と結婚

親族の遺産を受け 著作に専念

『クレメンディー年代記 The Chronicle of Clemendy (1888)』
『パンの大神 The Great God Pan(1894)』 
『内奥の光 The Inmost Light (1894)』
『三人の詐欺師 The Three Impostors(1895)』 出版

1899 Ameriaを癌で失う 精神面で彼を支えた友人ウェイトの紹介でGD入会

『白魔 The White People (1899)』出版

1901 ロバート.ベンソンSir Robert Benson 
(1858 – 1939 オクスフォード在学中 ギリシャ悲劇を上演成功 
卒業後プロ俳優兼マネイジャーとして活躍) 率いる劇団に俳優として入団 
第二の人生を見出す

1903 演劇活動の縁で Dorothie Purefoy Hudleston と再婚


次回へと続きます


と たのしい演劇の日々
    

2017年11月11日

黄金の夜明け団と演劇 21

g.Meryken.jpg



            マイリンク 写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇21

Chapter 4-2-7

グスタフ・マイリンク/Gustav Meyrink (1868 – 1932)
オーストリア作家 演劇人 翻訳家 銀行家 オカルティスト 
ドイツ語幻想文学で 最も敬意を集める作家

男爵と女優との庶子 母親と同名のユダヤ人女性が存在し ユダヤ人との誤解を受ける

1881年までミュンヘン在 後ハンブルグへ 1883-1903母に伴いプラハ在 

1889  従兄/詩人 Christian Morgensternと"Meier & Morgenstern".銀行立ち上げる

1892 24歳の時のこと 聖母被昇天(せいぼのひしょうてん)前夜 自殺企図 
   銃口を自身に向け当に発砲の瞬間 ドアの隙間より冊子『死後の世界 / 』が差し込まれ
   この衝撃的運命の転回に 自殺は思い止まり オカルトの研究にのめりこむ 
   しかし後 マイリンク40歳/1932のとき 
   24歳の息子Harro Fortunatを自殺で失う 
   2作目小説『The Green Face(1916) 』登場人物に息子の名が遺されることになる

神智学 カバラ キリスト教叡智学 東洋神秘学 を学び またヨガを生涯続ける
神智学協会員 GD会員

1902  オカルトを事業に利用したという嫌疑/詐欺罪により2か月服役
   出所後銀行業は放棄せざるを得ない 
   しかしこの服役体験が 代表作『ゴレム/The Golem (1913–14)』を書かせる

1900- ドイツ社会風刺専門週刊誌『Simplicissimus(1896-1967)』短編投稿を始める
 
1903 ウィーン移住

1905 ハンブルクの女優フィロメーナ・ベルントと再婚 一男一女を設ける

   経済的安定の為に 以下作家の翻訳を手掛ける 
 
 チャールズ・ディケンズCharles Dickens(1812 – 70
   英ヴィクトリア社会風刺を手掛けた作家 労働者階級出),
  
 ラドヤード・キップリング/ Rudyard Kipling ( 1865 – 1936
   英作家詩人 英統治下インドで生れ育ち作品その体験を物語る 
   しかし ジョージオーウェル/George Orwell(1903 - 1950英作家 インド生)は
   英帝国主義伝道者と呼ぶ ノーベル文学賞) 、
  
 小泉 八雲/Lafcadio Hearn 1850 – 1904ギリシャ生) 
 
翻訳業は生涯続けられ 
 エジプト『死者の書/Book of the Dead』等オカルト本も多数訳編集している

1915 代表作『The Golem(ヘブライ語/胎児גולם) 』出版  ユダヤ教の伝承にある
   ラビ/ユダヤ教学者が造形するカバラの魔法を施された泥人形の謎を解く幻想神話 

メイリンクは反戦支持 ドイツ国粋主義と対立 
ドイツのナチ側ジャーナリスト Albert Zimmermann (1873-1933)は
ハインリヒ・ハイネ/Heinrich Heine (1797 –1856ドイツ作家 ユダヤ人)同様に 
民心を動かし ドイツにとって大変危険な人物であると 批判し
 The German Philistine's Horn(1909)禁書となる

1920 Starnbergに田舎の荘園/「最後の灯りの家/The House at the Last Lantern ゴレムより 
    を購入 家族と転居

1927 大乗仏教/ Mahayana Buddhism へ改宗

メイリンクは自死した息子より半年だけ長生きし 1932年12月死去 

ナチ政権中オカルト関係は排斥されたが 
メイリンクの作品も戦後 フランス ロシア 英国に訳されリバイバルを果たした

メイリンクがGD会員だったかどうか記録は別れます 
しかし GDを立ち上げた William Wynn Westcott (1848–1925) からの
それを物語る手紙(1893)がある との記録もあり 取り上げました



と たのしい演劇の日々

2017年11月10日

演技 台詞を言う03

演技 台詞を言う03

音声デモを作りました 映画吹替向けです

アクターズセンターで自分で作るオーディション用デモ画像/音声
Peter Warnockの「Light Camera Upload!」を習いました(過去記事2016/02/28)
講師のPeterは 結構高価な機材を用いることを薦めましたが 
機材を使いこなせるようになるまでの手間は除きたく 
身近な機材を利用します

使った機材は skypeなどに使う ヘッドセット
/ヘッドホン+マイクが一体になったものです 

マイクが声を旨く拾うので 日常レベルの声で話せます しかも
 声のみを拾い ページを捲る音などは入りません
 パソコンのマイクソフトを使い録音 
完成したファイルは其の侭 メールに添付しキャスティングダイレクターに送れます 

映画の吹替でしたから 音声域を観てもらえるように
 短い会話(約2分)を選び/真夏の夜の夢より 
 3っつのキャラクター声を使い分けました

低音声は キャラクターをクジラと見立て 足の裏から発声(のイメージ)
高音声は キャラクターをリスと見立て 額から発声
中性音は キャラクターを人間と見立て 胸のチャクラから発声 

日本語は 此れだけで充分です が
英語の方は 台詞のリズムにポイントを置きます 
シェークスピアの台詞ですから 短い会話なので厳密ではありませんんが 
弱強五歩格 を用い  

低音クジラ キャラクター はアダージョ/66bpm 足でリズムを踏む
高音リス キャラクターは アレグロ/120bpm 指で机を叩いてリズムをとる
中音 人間キャラクターは アンダンテ/86bpm 呼吸のリズムで 

録音してみました 

日本語と英語は 同じ物語を伝えるのですが 俳優の身体の使い方が随分違うのです

英語のベースはリズムです
日本語も歌舞伎の台詞は独特のリズムで語られます が
現代日本語訳のシェイクスピア劇にベースとなるリズムは感じません 
其れよりも いかに言葉で情景を描きムードを醸し出すか 
に重きを置いているように思われます      



と たのしい演劇の日々

2017年11月06日

黄金の夜明け団と演劇 20

RobertFelkin.jpg


        写真 R.W.フェルケン はWEBより拝借致しました


黄金の夜明け団と演劇20

Chapter 4-2-6

ロバート.ウィリアム.フェルキン/Dr Robert William Felkin (1853 – 1926)
医療宣教師 アフリカ奴隷性反対を支援 儀式魔術師

祖父は英ノッティンガム バプティスト教会牧師 市長 レース業大手 
父はそのレース業を継ぐも失敗 中部ウォーバーハンプトンへ移り 
英産業革命で大躍進した 塗料最大手Mander family のマネージャー職に就く

思春期に探検家デイヴィッド・リヴィングストン/ David Livingstone
(1813 –73 スコットランド探検家 医療宣教師 
暗黒大陸と呼ばれた未知の大陸アフリカを西欧社会に解放する 
著書『アフリカ探検記』 )に出会い 自身も医療宣教師を目指します

叔父を訪ねドイツ留学 ドイツ語堪能

1876 エディンバラ大学医学部へ

1878 英国聖公会宣教協会/Church Mission Society
(1799- オーストラリアとニュージーランド本部を置き
 アジア・アフリカへ9000人以上宣教師を送る) アフリカ医療宣教師任務に就く
熱帯病研究 出産について 医療誌に投稿

1881 健康を害し英エディンバラへ帰国 1884半ばであった医師資格を取得
 Royal Society of Edinburgh1737- エディンバラ国立アカデミー研究機関入会
 Royal Geographical Society 1830- 英地理学学術団体入会

1882 Mary 父の勤るMander familyの娘 幼馴染 と結婚 一男一女を設ける
娘Ethelwyn (1883-1962)はEthel Felkin名で GD伝承に関した書を出している

1884 ドイツ留学 医術を更に修める 
その後 Mary共に 医療宣教 オカルト研究の為 アフリカ 西欧を巡る 

聖書をメインにし 『老子』学 バガヴァッド・ギーター/Bhagavad Gita ヒンズー教経典を研究

1886 神智学協会エディンバラ支部入会

1894 MaryとGD入会 
Emin Pasha (1840 –92ユダヤ人医師 博物学士 エジプト行政区上ナイルの知事)
の論評や手紙をMaryの訳で出版

1903 Mary逝去 医療活動 聖公会奉仕 オカルト研究に心酔 
オカルトに関心のある聖公会牧師と出会う 

GD分裂 John William Brodie-Innes ( 1848 – 1923 )とStella Matutina を組織
 William Butler Yeats (1865 – 1939 も参加し20年メンバーであった

1907 フリーメーソンエディンバラ支部入会 瞬く間に上部機関 
英薔薇十字協会Societas Rosicruciana in Anglia  SRIA員へ昇格

二度目の妻Harriet/透視術師 また自らの霊体験/太陽の師たちとの交信 に確信を得
 結社Stella Matutina を確固なものとする奥義を求め 彼の関心は
ドイツ薔薇十字の存在と秘密の首領に向かい  1906, 1910 and 1914
ヨーロッパ ドイツを訪ね シュタイナーとも出会っており
 人智学ホメオパシー医学を学ぶ 
が1914英独開戦 ドイツメイソンリーの助力により拘束を逃れ帰国

1911 バハイ教/  Bahá'í Faith ( 1863-)キリスト教に次 世界6万の信者
 創始バハー・ウッラー/Bahá'u'lláh 大英帝国勲章/KBE 1844 – 1921) と対面

1912 聖公会牧師の仲介で ニュージーランドへ
Stella Matutina 支部を Whare Raマオリ語 / the House of the Sun 設立

1916帰国後 英薔薇十字協会より監察官任命され 
またStella Matutina 支部も増設 薔薇十字医療に関した著書も書いている 
しかしを戦況悪化を危惧 体調も崩し 
1916 家族と共にニュージーランドへ移住

強い精神力 他を思いやる大らかさ そして医術と魔術の両面に渡る深い造詣により
 住民らの信望を集めるも 1926年 静かに息を引き取る 


フェルケンは文芸人ではありませんが 西欧諸国の帝国主義が昂ぶり 
世界大戦へと突き進む大きな時代の変化の中で 
開発国による未開地への良き教育と開発と称し 
侵略の下地を作り続けた宣教師の果たした役割 
オカルトの関りを観てゆくのに叶う人物であると思われ 取り上げてみました


と たのしい演劇の日々 

2017年10月30日

黄金の夜明け団と演劇 19


freemasonry forgetmenot.jpg



      フリーメーソンリー 勿忘草のバッジ 
                       WEBより拝借致しました






黄金の夜明け団と演劇 19


黄金の夜明け団 を調べるかたわら 

ロンドン コベントガーデンの オペラハウスと
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLondon School of Economics
(欧州で最も政治エリート 世界的な著名人を輩出している教育機関 Newsweek)
とを結ぶ 直角三角形の頂点に当たる地点に立つ 

フリーメーソンリー/英国ロッジ 

現在創立300年の記念展が催されており 訪ねてみました

博物館は 誰でも閲覧でき また 
メンバーの案内による 館内と大聖堂見学もできます 
当日は聖堂に据えられた見事なパイプオルガンの演奏もついておりました

ドイツのフリーメーソンリーは
政治犯/対ナチ戦闘員/ユダヤ人扇動テロリストの嫌疑により
 2万〜80万が  ホロコーストに送られたと記録されており 
その記憶を留める為に 「勿忘草」のバッジ/ドイツ.ブレーメン(1938-  )が創られました 

当時ナチ政権は福祉政策を積極的に組み入れ ドイツ国民の支持を得るのですが 
その関係者 賛同者が身に付けるバッジが 偶然にも同メイカーだった為 
フリーメーソンリーは この「勿忘草」のバッチを身に付け 
秘かに同志認識に用いていました 

アーサー.コナン.ドイルが英政府とGDメンバーに働きかけ 
ロンドン上空に結界を結ばせた 
尋常でない危機感 彼の鋭い先験は 続く恐ろしい人間の業を 語り継がせるのです


GD主要メンバーはフリーメーソンリーの入門後 順次昇格し
 高位階に達した者のみが許される 
英国薔薇十字協会Societas Rosicruciana in Anglia
(Rosicrucian Society of England)SRIA(1865-) に属しておりました

記録によりますと GDの資料は ここ英国ロッジ図書室に多く保存されております
エディンバラ支部/Edinburgh.Amen-Ra Templeの資料は残念ながら廃棄されたようです
 しかし ブラッドフォード支部/Bradford Horus Temple に新たな資料等が発見され 
これは貴重な研究材として一般公開はなされておりません 
がいずれ GDの新たな謎が開示されることでしょう





と たのしい演劇の日々

 
 

2017年10月26日

黄金の夜明け団と演劇 18

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         写真はWEBより拝借致しました



黄金の夜明け団と演劇 18

chapter4-2-5

GDのメンバーである 文芸人をしらべております

アーサー.コナン.ドイル/Sir Arthur Conan Doyle(1859–1930 英医師 作家 心霊主義者)

彼の所属した
秘密結社:
1887-1911年 フリーメーソンリー/Freemason
The Ghost Club (1862- の創立メンバー       

超常現象を科学的に調査する機関:
1893- 心霊現象研究協会/The Society for Psychical Research (SPR)(1882-

オカルト研究に情熱を注ぎます 
交霊会 ポルターガイスト調査に積極的に参加し 
 
当時英国上流会で娯楽以上に影響力を与えていたオカルト
科学者らが中心となって その詐欺性を暴く活動が盛んになるなか 
ドイルは熱心に擁護に回ります
 擁護側に回った科学者が 学界から追われた状況にあって 
作家のドイルは気兼ねなく オカルト社会現象を謳歌しました

当然 GDメンバーとも付き合いがありました
しかし正式メンバーにはなりませんでした

記録によりますと    
GD主要メンバーたちは 英国に結界をはり 戦禍から守ったとありました

これは どうやら 大戦の気配に 
並みの人力では拉致があかないと鬼気迫るものを感じ 更に
 GD内部抗争を利用し 
新生GD蜂起と 
英国王 国家の為に決起を と
  英政府- ドイルは政界にも顔が利きます- に働きかけ 
GDのオカルトパワーを政府使命で利用する 
ロンドンに結界を結ぶ を仕掛けた張本人の模様です 




と たのしい演劇の日々

2017年10月20日

黄金の夜明け団と演劇 17

GD Paul A Clark.jpg




          写真はWEBより拝借致しました


黄金の夜明け団と演劇 17

GDに属した文芸人を観ております

Capter4-2-4


ポール.フォスター.ケースPaul Foster Case (October 3, 1884 – March 2, 1954)

オカルト結社「The Builders of the Adytum (B.O.T.A.)( 1922-)」の創立者

父は会衆派教会(かいしゅうはきょうかい/Congregational Church)執事 
母はピアノとオルガンをポールに教授 
教会でオルガンを担当する程音楽の才能に恵まれ 音楽家の道を歩み始め 
音楽学位を取得する

一方 子供の頃より lucid dreamを体験し 
それをラドヤード・キップリングRudyard Kipling (1865–1936)に相談 
その超自然能力を勧められている

1901年 Claude Fayette Bragdon (1866 – 1946 米建築家 舞台美術家 作家 神智学徒)
 音楽の催しで一緒になった折 カード占いの歴史について質問を受け 
それが切っ掛けで タロットの研究を始める 
Rider-Waite tarot deck (1910-)の欠陥を改め  B.O.T.A. Tarot 占いを編み出す

1905年から ヨガ/プラーナーヤーマ/呼吸法を学ぶ 
オカルト体験は時に社会生活に困難を生じ 
それをコントロールする術を得る必要に至る

1907年 William Walker Atkinson (1862 – 1932) 
ニューソート/新思考/The New Thought movement の発想者 
The Kybalion: Hermetic Philosophy1908)の実質作者だと言われる 
と共に活動を始める

1909年 シカゴのある通りで 
   Dr Fludd物理学者だと名乗る人より 
 私の師であり あなたの師である 秘密の首長 よりの伝言を受けている
 と伝えられ 音楽家でなく 
オカルティストとして民救済を決心する 
以降 オカルト研究に専心

1916年 オカルト誌The Word にタロット占いの研究成果を献上
 彼の結社 "至聖所の建築者たち/Builders of the Adytum"の下地作りとなる

1918年  Alpha et Omega (A.O.)メンバーの紹介により入会 
1906年 S. L. MacGregor Mathers(1854-1918)創立 の死後
メイザースの妻 Moina Mathers (1865-1928)が引き継いでいた

John William Brodie-Innes (1848 –1923 )
GDエディンバラ支部の主要メンバー メイザース支持者  と親交を深める

1920年 内陣/第2位階へ昇格 秘密の首長からのメッセージ/霊聴 を出版
しかし 彼の性魔法術 がMoina の哲学に添わず 除名される 
を期に
1922年より本格的に"至聖所の建築者たち/Builders of the Adytum"活動を始め
 結社は現在も 世界中5000人程のメンバーが所属している


次回へ続きます

と たのしい演劇の日々

2017年10月19日

黄金の夜明け団と演劇16




黄金の夜明け団と演劇16

黄金の夜明け団会員及び関係した文芸人を追っておりました(過去記事2017/05/27) 
続けて参りましょう


anna de bremont00.jpg



           写真はWEBより拝借いたしました




Chapter 4-2-3
Anna de Brémont(née Dunphy; 1852~88-1922)
 作家(小説/詩)オペラ歌手 両親はアイルランド/クリスチャン移民 
彼女の出生/米での生活は謎が多い 研究者によるとその経歴には自作自演が観られるようだ

記録を辿りますと 
幼少より教会聖歌メンバーとなり その後 
抜きんでた歌唱力により コントラルトソロ歌手としてデビューする 
又学生の折 その作文力により賞を得ている 

1877年  Émile Léon, Comte de Brémont と結婚 
が記録によると
渡英後 夫の性を名乗る 
恐らく米人を蔑む英社交界に出入りする必要からであろうかと 

1982年夫と死別後 資産が底をつき 歌手/作家として身を立てることになる
同じ年 ニューヨーク滞在中の
オスカー.ワイルドOscar Wilde (1854 – 1900)  とサロンで親交を深める
アンはオスカーに潜む女性性を見抜いており それがオスカーの神経に触り アンを嫌う

1886年渡英 記録によれば債務者から逃れる為であったという 

オスカーの母親Jane Wilde (1821 – 96) のサロンに出入りを始め 
そこで後のGDのメンバーたちと交わる 

ワイルドの妻コンスタンスConstance Wilde (1859 – 98) と友情を深め 
彼女の働きでアンはワイアルドによる著作サポートを受ける

1888年アンとワイルドの妻コンスタンスはGD入会の秘儀を受ける
メンバーはラテン語で魔法名を名乗るが普通であるのだが 
アンは Fait bien - les dire フランス語に通じている とフランス語を使用  
興味を覚え学び 直ぐに昇格 しかし
GD主創設メンバーWilliam Wynn Westcott (1848 – 1925)により除名されている 
その時期と理由は記録にないようだ 

アンのGD体験記によると  -入会規約により秘儀詳細の説明はないが- 

当時ロンドン社交界を虜にしたオカルト 
秘密結社への入会はジャーナリストとしてでは得られない 
未知なるものへ向かう本能に心打たれ 
人生への欲望と意味を真に満たすに至る 
結社の首領はエジプト秘儀の門弟であり キリスト神秘主義奥義の達人である 
秘儀入門は余りに神聖なるが故 
それはかつてなかった 畏怖の念より 
冷静な立場を保つよう努めた 
それではあるが 
東洋と自然科学に関する重大な叡智を 
集中的思考法を – それは私の後の作家活動のエッセンスとなる -
を学ぶことができた
 

彼女はGD入会により ワイルドの妻コンスタンスと深い友情を結ぶが 
その彼女の眼に映るコンスタンスは 
夫オスカーの作品創りを手伝うため つまりオスカーの意志で入会したようにみている 
時を同じくし オスカーは「ドリアングレイの肖像」を執筆していたのでるから 
そして 後オスカーのゲイ発覚から投獄 家族離散といった災いは 
GDの掟を破ったためであろう と理解している
 

次回へ続けましょう

と たのしい演劇の日々

2017年10月15日

演劇が目指すもの 00

演劇が目指すもの 00


同時代のオペラ作品創りを目指し活動する 音楽劇団ウェールズ/Music Theatre Wales は
 ローラント・シンメルプフェニヒ/Roland Schimmelpfennig
(西ドイツ1967- 世界40か国で翻訳上演されている 社会派劇作家 
東京新国立劇場「昔の女」2009年 「つく、きえる」2013年公演 )の
「黄金竜/the Golden Dragon 初演2009年ウイーン」 公演ををキャンセルいたしました

物語は中華料理店で働く 
より良い暮らしを求め 先進国へ渡った 中国からの違法移民たち が 
夢とは程遠い 奴隷同様の生活環境下 
命がけの生き様を コミカルに描いたものです 

キャンセルとなりましたのは 
有色人種の社会的機会均等を訴え続けている(英国俳優組合催し 過去記事: 2013/4/17)
 劇団/Yellow Earth Theatre(1955- 在英西アジア人演劇人による劇団 
代表:Kumiko Mendl http://yellowearth.org/about-yellow-earth/ )から
 西欧に生きる中国人違法移民を描いた戯曲でありながら 
配役が白人ばかりで 明らかに人種差別である 
と クレームが入ったためです 

それは瞬く間にニュースとなって 報道関係者に取り上げられ 
劇団側は 一度は 
物語は中国違法移民の巣靴として 中華料理店を設定にしてはいるが 
違法移民問題とは 人種に限った話ではなく 
それは貧富の差の拡大 発展国と途上国間の経済格差という
世界が抱える社会問題である為 
特定の人種は考慮せず配役し 結果白人ばかりとなった と説明をしましたが 

社会的機会均等を切に掲げる芸術芸能分野であるにもかかわらず
 その軽率な判断を強く反省し 公演中止を決めたのでした

昨今 黒人はシェークスピア劇にも主役級で出演するようになりました

しかし黄褐色人は 未だ お決まりの役ばかりがあてがわれるのが現状です 
こうして声を上げ続ける勇気 
そしてその声を認めらさせる迄に至った 努力と行動力を 大いに称えねばなんりません


と たのしい演劇の日々  
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