2017年10月19日
黄金の夜明け団と演劇16
黄金の夜明け団と演劇16
黄金の夜明け団会員及び関係した文芸人を追っておりました(過去記事2017/05/27)
続けて参りましょう
写真はWEBより拝借いたしました
Chapter 4-2-3
Anna de Brémont(née Dunphy; 1852~88-1922)
作家(小説/詩)オペラ歌手 両親はアイルランド/クリスチャン移民
彼女の出生/米での生活は謎が多い 研究者によるとその経歴には自作自演が観られるようだ
記録を辿りますと
幼少より教会聖歌メンバーとなり その後
抜きんでた歌唱力により コントラルトソロ歌手としてデビューする
又学生の折 その作文力により賞を得ている
1877年 Émile Léon, Comte de Brémont と結婚
が記録によると
渡英後 夫の性を名乗る
恐らく米人を蔑む英社交界に出入りする必要からであろうかと
1982年夫と死別後 資産が底をつき 歌手/作家として身を立てることになる
同じ年 ニューヨーク滞在中の
オスカー.ワイルドOscar Wilde (1854 – 1900) とサロンで親交を深める
アンはオスカーに潜む女性性を見抜いており それがオスカーの神経に触り アンを嫌う
1886年渡英 記録によれば債務者から逃れる為であったという
オスカーの母親Jane Wilde (1821 – 96) のサロンに出入りを始め
そこで後のGDのメンバーたちと交わる
ワイルドの妻コンスタンスConstance Wilde (1859 – 98) と友情を深め
彼女の働きでアンはワイアルドによる著作サポートを受ける
1888年アンとワイルドの妻コンスタンスはGD入会の秘儀を受ける
メンバーはラテン語で魔法名を名乗るが普通であるのだが
アンは Fait bien - les dire フランス語に通じている とフランス語を使用
興味を覚え学び 直ぐに昇格 しかし
GD主創設メンバーWilliam Wynn Westcott (1848 – 1925)により除名されている
その時期と理由は記録にないようだ
アンのGD体験記によると -入会規約により秘儀詳細の説明はないが-
当時ロンドン社交界を虜にしたオカルト
秘密結社への入会はジャーナリストとしてでは得られない
未知なるものへ向かう本能に心打たれ
人生への欲望と意味を真に満たすに至る
結社の首領はエジプト秘儀の門弟であり キリスト神秘主義奥義の達人である
秘儀入門は余りに神聖なるが故
それはかつてなかった 畏怖の念より
冷静な立場を保つよう努めた
それではあるが
東洋と自然科学に関する重大な叡智を
集中的思考法を – それは私の後の作家活動のエッセンスとなる -
を学ぶことができた
彼女はGD入会により ワイルドの妻コンスタンスと深い友情を結ぶが
その彼女の眼に映るコンスタンスは
夫オスカーの作品創りを手伝うため つまりオスカーの意志で入会したようにみている
時を同じくし オスカーは「ドリアングレイの肖像」を執筆していたのでるから
そして 後オスカーのゲイ発覚から投獄 家族離散といった災いは
GDの掟を破ったためであろう と理解している
次回へ続けましょう
と たのしい演劇の日々
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