2017年11月06日
黄金の夜明け団と演劇 20
写真 R.W.フェルケン はWEBより拝借致しました
黄金の夜明け団と演劇20
Chapter 4-2-6
ロバート.ウィリアム.フェルキン/Dr Robert William Felkin (1853 – 1926)
医療宣教師 アフリカ奴隷性反対を支援 儀式魔術師
祖父は英ノッティンガム バプティスト教会牧師 市長 レース業大手
父はそのレース業を継ぐも失敗 中部ウォーバーハンプトンへ移り
英産業革命で大躍進した 塗料最大手Mander family のマネージャー職に就く
思春期に探検家デイヴィッド・リヴィングストン/ David Livingstone
(1813 –73 スコットランド探検家 医療宣教師
暗黒大陸と呼ばれた未知の大陸アフリカを西欧社会に解放する
著書『アフリカ探検記』 )に出会い 自身も医療宣教師を目指します
叔父を訪ねドイツ留学 ドイツ語堪能
1876 エディンバラ大学医学部へ
1878 英国聖公会宣教協会/Church Mission Society
(1799- オーストラリアとニュージーランド本部を置き
アジア・アフリカへ9000人以上宣教師を送る) アフリカ医療宣教師任務に就く
熱帯病研究 出産について 医療誌に投稿
1881 健康を害し英エディンバラへ帰国 1884半ばであった医師資格を取得
Royal Society of Edinburgh1737- エディンバラ国立アカデミー研究機関入会
Royal Geographical Society 1830- 英地理学学術団体入会
1882 Mary 父の勤るMander familyの娘 幼馴染 と結婚 一男一女を設ける
娘Ethelwyn (1883-1962)はEthel Felkin名で GD伝承に関した書を出している
1884 ドイツ留学 医術を更に修める
その後 Mary共に 医療宣教 オカルト研究の為 アフリカ 西欧を巡る
聖書をメインにし 『老子』学 バガヴァッド・ギーター/Bhagavad Gita ヒンズー教経典を研究
1886 神智学協会エディンバラ支部入会
1894 MaryとGD入会
Emin Pasha (1840 –92ユダヤ人医師 博物学士 エジプト行政区上ナイルの知事)
の論評や手紙をMaryの訳で出版
1903 Mary逝去 医療活動 聖公会奉仕 オカルト研究に心酔
オカルトに関心のある聖公会牧師と出会う
GD分裂 John William Brodie-Innes ( 1848 – 1923 )とStella Matutina を組織
William Butler Yeats (1865 – 1939 も参加し20年メンバーであった
1907 フリーメーソンエディンバラ支部入会 瞬く間に上部機関
英薔薇十字協会Societas Rosicruciana in Anglia SRIA員へ昇格
二度目の妻Harriet/透視術師 また自らの霊体験/太陽の師たちとの交信 に確信を得
結社Stella Matutina を確固なものとする奥義を求め 彼の関心は
ドイツ薔薇十字の存在と秘密の首領に向かい 1906, 1910 and 1914
ヨーロッパ ドイツを訪ね シュタイナーとも出会っており
人智学ホメオパシー医学を学ぶ
が1914英独開戦 ドイツメイソンリーの助力により拘束を逃れ帰国
1911 バハイ教/ Bahá'í Faith ( 1863-)キリスト教に次 世界6万の信者
創始バハー・ウッラー/Bahá'u'lláh 大英帝国勲章/KBE 1844 – 1921) と対面
1912 聖公会牧師の仲介で ニュージーランドへ
Stella Matutina 支部を Whare Raマオリ語 / the House of the Sun 設立
1916帰国後 英薔薇十字協会より監察官任命され
またStella Matutina 支部も増設 薔薇十字医療に関した著書も書いている
しかしを戦況悪化を危惧 体調も崩し
1916 家族と共にニュージーランドへ移住
強い精神力 他を思いやる大らかさ そして医術と魔術の両面に渡る深い造詣により
住民らの信望を集めるも 1926年 静かに息を引き取る
フェルケンは文芸人ではありませんが 西欧諸国の帝国主義が昂ぶり
世界大戦へと突き進む大きな時代の変化の中で
開発国による未開地への良き教育と開発と称し
侵略の下地を作り続けた宣教師の果たした役割
オカルトの関りを観てゆくのに叶う人物であると思われ 取り上げてみました
と たのしい演劇の日々
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