最上家11代当主・最上義光の菩提寺を訪ねました。義光は出羽国の小勢力となっていた最上家を、たった一代で全国有数の大大名に押し上げた戦国武将です。あの伊達政宗の叔父に当たります。
<光禅寺>こうぜんじ
山形市鉄砲町にある曹洞宗の寺院です
<光禅寺境内>
荘厳の境内。凛とした空気が漂います
光禅寺は最上義光が1602年(慶長7年)に向川寺九世春林禅寺冬和尚を拝請して開創した時に始まります。当初の名は慶長寺でした。最上義光の葬儀も「慶長寺」の時に行われています。その後の幕府の方針で、年号を寺院名とすることが禁じられたため、光禅寺と改められました。
また、寺は当初、現在の七日町3丁目にありました。山形城の大手筋に位置し、かつ広大な敷地で、出羽山形藩主に相応しい敷地だったようです。
しかし最上家は改易となってしまい、代わって山形を任された鳥居忠政により、ここ鉄炮町に移されました。これは磐城国にあった鳥居忠政の父(鳥居元忠)の菩提寺を移すためです。義光の墓所を訪ねているせいか、やや強引さを感じてしまいますが、藩主が入れ替わったのですから仕方ないですね。あと、最上義光同様に、鳥居忠政も城下町の強化に力を注ぎましたので、その一環でもあり、大手門から近い寺の配置は、軍事的な意味もあったのかもしれません。
移転に際しては、最上家に仕えていた浪人が500人から600人集まり、義光の遺骸を運んだと伝わります。ということは、最上義光本人の墓所であると同時に、彼を慕っていた家来たちの思いも、この地に残されているということですね。
光禅寺も理不尽な扱いを受けた印象もありますが、最上義光から寄進されていた250石は、その後も寺社領として幕府から安堵されたようです。良かったですね。現在の光禅寺も、庭園を含めてかなり広い敷地を維持していますので、恵まれた寺院という印象です。
<鐘楼と観音堂>
鐘楼の梵鐘は江戸時代初期の作と伝わります
<本堂>
明治時代の大火(1894年)で境内の建物の多くは消失。先ほどご紹介させて頂いた観音堂と鐘楼以外は全焼したそうです。現在の本堂は大正時代に再建されたものです。
<扁額>
山号は天瀧山
そして
出羽の虎将の墓所へ
<最上義光墓所>
こちらです。中央が最上義光のお墓です。やや遠くから撮影しました。また、周囲の墓石は多少加工させて頂きましたのでご了承ください。雰囲気は伝わると思います。すぐ近くに説明板が設置されていますので、そちらをご紹介します。
<墓所説明板>
ここ光禅寺は、義光の菩提寺であるとともに、山形藩2代藩主となった家親、3代藩主・義俊の菩提寺でもあります。家親は義光の次男、義俊その嫡子で義光からみて孫です。これをみると、義光が69歳まで生きたのに対し、家親は36歳、義俊は26歳で没していますので、ちょっと短いという印象です。また、藩主それぞれの墓とともに、最上義光の死に殉じた四人の家臣の墓もあります。画像は投稿しませんが、四義士の墓石は義光墓所のすぐそばに一列に並んでいます。
<永和二年阿弥陀板碑>いたび
こちらは墓石ではなく板碑。山形城二の丸で発掘された1376年の板碑で、山形市有形文化財に指定されています。最上の祖であり、山形城の築城者でもある斯波兼頼が、城内に草庵を結んで出家した翌年のものとのこと。斯波氏は清和源氏足利氏の一族。つまり最上氏も足利家一門です。
<境内の水路>
境内を通っているこの水路は山形五堰のひとつ笹堰です。山形五堰は鳥居氏時代に城下の治水事業の一環として設けられました。そういえば、最上義光の娘・駒姫の墓所(専称寺)にも、同じく山形五堰のひとつ御殿堰が通っていました。
<遠州流林泉庭園>
本堂の裏手には遠州流“心字池”庭園があります。江戸時代初期のものと推測され、山形県内の庭園としては最古の部類とのこと。山形市指定名勝となっています。
<遠州流心字の池>
先ほどの水路の水が滝となって注がれています。
境内は以上です
最上義光は、どういう訳か身内の不幸が多かった武将です。逸話などから推測すると、力強い武将でありながら、かなり人情味もあったようなので、涙することも多かったのではないでしょうか。それらを背負ったうえで、浮き沈みの激しい戦国の世を生き抜き、衰退していた名門家を57万石の大大名にまで押し上げました。出羽の英雄であり、のちの山形発展の礎を築いた人物です。個人的には上杉ファンですが、敵対した最上義光も、好きな戦国武将のひとりです。
<足利二つ引き>あしかがふたつひき
足利家一門の家紋がひときわ目を引きます。義光の居城・山形城には何度かお邪魔させて頂いていますが、菩提寺の訪問は初めて。来れて良かったという思いで、現地をあとにしました。
■訪問:光禅寺
[山形県山形市鉄砲町] 2丁目
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■参考及び出典
・現地説明板
(山形市教育委員会)
・光禅寺縁起
(曹洞宗光禅寺)
・墓所説明板
・Wikipedia:2023/9/24
■当ブログ過去記事■
当ブログでは最上義光について過去に投稿しています。やや古い記事で、更に個人的な思い入れが多い記事ですが、良かったら覗いてみて下さい。
<最上義光騎馬像>
2017年10月17日
『出羽の虎将・最上義光』
(クリックで記事に移動します)
2023年09月24日
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