最上家初代当主である斯波兼頼の墓所を訪ねました。
<斯波兼頼墓所>しば かねより
山形市七日町の光明寺です。
<足利二つ引き>あしかがふたつひき
足利一門である証がひときわ目をひきます。斯波兼頼は八幡太郎の名で知られた源義家から11代目の子孫。奥州探題斯波家兼の次男としてこの世に生をうけた正真正銘の源氏です。
<光明寺縁起>こうみょうじ
光明寺の創建は1375年(永和元年)。兼頼本人が、自ら築城した山形城内に草庵を設けたのが始まりとされています。兼頼は城内で出家し、其阿覚就と号しました。死後は草庵に葬られ、後継者となった最上直家が寺院として整備し、兼頼の戒名から光明寺と名付けたそうです。
第2代当主となった直家の正室は伊達宗遠の娘。息子たちは天童家ほか各地に配置されました。父兼頼から始まる最上家の支配体制をより強化しました。
<境内案内図>
わかりやすい案内図。現在位置が入口です。正面に本堂、左手が墓所になりますが、斯波兼頼のお墓は左手に曲がった正面ということになります
<墓所>
どうやら一番奥に見えているのが斯波兼頼のお墓のようです
<斯波兼頼のお墓>
こちらですね。気持ち、遠くから撮影しました。最上家の祖となった斯波兼頼(最上兼頼)のお墓です。
繰り返しになりますが、兼頼は源氏の名族・足利一門。南北朝時代に北朝方として活躍しました。父は奥州探題の斯波家兼、兄は奧州探題を継承していく大崎氏の祖となった直持です。山形の地に城を築いて居城としたのが1356年。1379年に城内で没し、葬られた草庵が、やがて光明寺へと繋がるわけですね。
戒名は「光明寺殿成覚就公大居士」です。
■訪問:光明寺
[山形県山形市七日町]5丁目
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■参考及び出典
・現地説明板(光明寺縁起)
・山形市HP
山形市:歴史・観光・見所>光明寺
https://www.dewatabi.com/murayama/yamagata/koumyou.html
■当ブログ過去記事■
当ブログでは斯波兼頼について過去に投稿しています。よかったら覗いてみて下さい。
<斯波兼頼像>
2021年11月28日
『街中の斯波兼頼公像』
(クリックで記事に移動します)
2023年09月25日
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