こちらは県立小田原高校に設けられた散策路です。この付近は北条氏時代の小田原城の中心地です。学校の敷地内で見つかった史跡を説明板を設けて公開してくれています。
<散策路>
高校の敷地に入って良いのか?事前の手続きは必要ないのか?現地に着くまではちょっと不安でしたが、しっかりと柵で仕切られていますので、その外側は一般人も自由に散策して良いようです。
<小田原高校と遺構>
ただ、高校のグラウンドに隣接する敷地ですので、最低限のマナーは必要ですね。
<説明板>
冒頭の説明板です。八幡山古郭は本曲輪、西曲輪、南曲輪、古宮曲輪、藤原平などの総称ですが、現在位置は西曲輪になります。
<説明板拡大>
西曲輪の北側に西曲輪西堀と記されています。左側の写真によれば、堀の内側には溜池や堀障子が確認されたようですね。西曲輪西堀の更に北側、ほぼこの説明板のあたりに、小規模な堀が三カ所あったようです。
<三味線堀>
あの付近ですね。ちょっと現地で実感はわきませんでしたが、構造は説明板の図で理解しました。鍵折れ状の堀が設けられていたわけですね。それにしても三味線堀という呼び名は?どういうことでしょう。形状が三味線に似ているとも思えません。調べましたが、はっきりとは分かりませんでした。
まぁそんな細かなことより
自分はいま、戦国時代の小田原城の主要な場所にいる。それだけで満足でした。説明文によれば『西曲輪は本曲輪(本丸)の背後にあたり、とりわけ防備を厳重にする必要があったものと推定されます』とのこと。人が念入りに思惑を込めた場所ということですね。
<散策路>
散策路は校庭の東側に沿って設けられています。周辺の地形も高低差も見応えがあります。はっきりとは分かりませんが、見るものすべてが遺構に感じられてなりません。
<説明板>
南へ向かって進むと、また説明板が設置されていました。後ろ側は土塁の跡です。そしてその更に向こう側は本曲輪(本丸)になります。
散策路は以上です。
<小田原高校南側の坂道>
こちらは散策路を出て、山の南側の斜面を下る坂道。ちょっと分かりにくいですが、道がカーブする地点は堀跡です。右手は藤原平南堀に繋がり、左手(柵の向こう側)は本曲輪北堀の一部でした。備えが念入りだったことを実感する坂道です。
小田原城は純粋な山城から始まり、やがて平野部にまで拡大していきました。歴史は長いですが、最も濃厚な時が刻まれているのは、やはり北条氏の時代ではないでしょうか。城山の遺構はいわば小田原北条氏のなごり。小田原高校の散策路は、その一部に触れることができるありがたい小径でした。
■訪問:八幡山古郭跡の散策路
(県立小田原高校)
[神奈川県小田原市城山]
■参考及び出典
現地説明板
・神奈川県教育委員会
・小田原市教育委員会
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