<大久保神社>
<石段と入口>
<鳥居>
<狛犬>
<拝殿>
長きに渡って家康に忠節を尽くし小田原城主となった大久保忠世、小田原藩中興の名君となった大久保忠真が祀られています
■大久保忠世■おおくぼただよ
大久保忠世は徳川家康に古くから仕えていた三河国武士です(1532年生)。弟忠佐とともに数々の戦で武功をあげ、家康の天下取りに貢献しました。豊臣秀吉による小田原征伐にも家康に従って参戦し(1590年)、北条家が滅んだ後は4万5千石で小田原城主となりました。
■大久保家と小田原藩■
忠世の嫡男・忠隣(ただちか)の代で、大久保家は一旦改易となります。しかしのちに大名として復活し、5代忠朝の代で小田原藩主となりました。この時の石高は11万3千石でしたので、大久保家がいかに幕府から期待されていたか伝わってきますね。小田原は関東防御の要衝であり、その後も幕末まで大久保家が代々城主を務めました。
■大久保忠真■ただざね
小田原は譜代大名が治める重要な藩のひとつですが、他藩同様に、江戸時代後期ともなると財政窮乏に陥っていました。この苦しい状況で藩政改革を行い、中興の名君と呼ばれたのが11代(小田原藩大久保家としては9代)忠真でした。忠真は藩主として活躍する一方で、幕府の要職を歴任し、最終的には老中を20年以上勤め、職についたまま亡くなりました(享年60)。
<現地説明板>
こちらに記された説明によれば、大久保家はもともとは『下野(今の栃木県)宇都宮に勢力を持った藤原道兼の流れの宇都宮』氏の子孫とのこと。宇都宮泰藤のときに新田義貞に従い転戦しましたが、義貞亡きあと三河に土着したようです。その後、姓を宇津に改めて徳川の祖・松平に属し、やがて大久保を名乗ったと記されています。
<大久保藤>おおくぼふじ
小田原藩大久保氏の家紋です。藤の家紋は藤原氏の流れを汲むことを示しています。
<拝殿>
大きな神社ではありませんが、静寂のなか凛とした空気が漂います。
<本殿>
大久保神社の創建は1893年(明治26年)。当初は小田原城天守台跡に祀られていました。1900年(明治33年)にこの地に移されました。
<城山の神社>
城山の中腹で今でも小田原を見守っています
■訪問:大久保神社
[神奈川県小田原市城山]
■参考及び出典
現地説明板
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