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2021年07月18日

岩淵宿のなごり(日光御成道)

今回はかつて日光御成道の宿場として栄えた岩淵宿のなごりのご紹介です。

<岩淵八雲神社>やくもじんじゃ
Iwabuchi-Yakumojinja.JPG
かつての岩淵宿の鎮守社

■日光御成道とは■にっこうおなりみち
日光御成道とは、将軍の日光社参のために整備された街道を指します。本郷追分で中山道と分かれ、岩淵宿や川口宿を経たのち、幸手宿手前で日光街道に合流するまでの2里30町(約48km)の道のりです。いわゆる『五街道』と同様に整備された重要な脇街道の一つです。

今回ご紹介の岩淵は、その最初の宿場でした。

■岩淵郷■いわぶちごう
岩淵郷は現在の北区北部に位置し、古くから人の暮らしがあった場所です。室町時代には既に複数の村(稲付村・袋村・赤羽根村・下村そして岩淵宿の五ケ村と言われる)が存在していました。
<清水坂>
Shimizuzaka.JPG
こちらは北区中十条の清水坂です。赤羽駅方面へ続くこの道は、そのままかつての日光御成道。そしてこの付近から先が稲付村(現在の赤羽西)です。

<稲付の餅搗唄>
Dokanyamainari.JPG
[北区赤羽西]2丁目
こちらは日光御成道沿いの小高い丘に鎮座する道観山稲荷社。北区無形民俗文化財の 「稲付の餅搗唄(もちつきうた)」が江戸時代より継承されています。餅をつく時にうたう作業唄のことですね。

<稲付村の庚申塔>
Koshinto-Akabanenishi.JPG
[北区赤羽西]2丁目
この庚申塔は道標の役割も果たしています。日光御成道からそれたこの脇道が、板橋道へ繋がることが記されています。

<赤羽八幡神社>
shirononagori275 (2).jpg
shirononagori275 (4).jpg
[北区赤羽台]4丁目
こちらは岩淵五ヶ村の総鎮守であったとされる八幡神社です。

<袋諏訪神社>
shirononagori Tonoyama (12).JPG
[北区赤羽北]3丁目
こちらは日光御成道から北西へ少し離れますが、かつての袋村の丘に鎮座する諏訪神社。江戸時代の袋村の鎮守社です。手前の道は坂になっていて、赤羽方面に繋がります。

<宝幢院前の道標>ほうどういん
After-maintenance.JPG
[北区赤羽]3丁目
この付近はかつての赤羽根村になります。丁字路の道標に、東が岩槻街道(つまり日光御成道)であることが刻まれています。


■岩淵宿■いわぶちしゅく
古くから交通の要衝であった岩淵は、荒川を越えて北へ向かう岩槻街道の宿場となり、江戸時代には将軍の日光社参のための日光御成道の宿場として機能しました。
江戸から日光への道と言えば五街道の一つである日光街道が有名ですが、日光御成道のルートは、将軍一行の最初の宿泊先が岩槻城だったことと関係しているようです。岩淵宿は将軍が荒川を渡る前のいわば休憩所的な宿場です。旅路をサポートする問屋場として、重要な役割を担いました。

<正光寺>しょうこうじ
Shokoji-Temple.JPG
[北区岩淵町]32
歴史の長い寺がこの地に移転したのが江戸初期。以降岩淵の中心的な寺となりました。

<道標と庚申塔>
Iwabuchi-Koushinto.JPG
[北区岩淵町]22
道標の台石には「右 下村」と刻まれています。下村の下(しも)は、荒川の渡し場がある岩淵より下流に位置することが由来と考えられています。のちに志茂という文字に改められました。

そして
冒頭の岩淵八雲神社です
<ニの鳥居>
Iwabuchi-Shrine.JPG
<拝殿>
Yakumo-Shrine.JPG
[北区岩淵町]22
創建年代は不詳ですが、江戸時代には日光御成道岩淵宿の鎮守となっていました。現地の説明板にその旨が記されています。

<説明板>
Yakumo-Shrine-text.JPG
一部だけ以下に転記させて頂きます。
『岩淵八雲神社は、岩槻街道の東裏、荒川堤防の南側近くに鎮座します。この神社は、江戸時代に徳川将軍が日光東照宮に参詣する際に利用した日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社でした。』
あくまで神社の説明ですが、かつて日光御成道の第一の宿場として栄えたと記されており、訪問して良かったと思う瞬間でした。説明文には、神仏分離以前には正光寺が別当寺であったことや、明治になって村社に定められて、それ以来赤羽八幡神社の兼務社となっていることも記されています。
北区教育委員会さん、ありがとございました。

<岩槻宿問屋場址之碑>
Iwabuchi-Toiyaba.JPG
[北区岩淵町]26
こちらは問屋場の跡です

そして

<岩淵の渡船場跡>
Iwabuchi-Ferry.JPG
[北区岩淵町]41先
荒川を渡るための渡船場跡です。ここでも北区教育委員会さんの説明板にお世話になりました。

<説明板の地図>
Iwabuchi-Map.JPG
昔の荒川です。まだ新河岸川の姿がありません。いま以上に荒々しく蛇行する荒川を、ここ岩淵から対岸へ渡ったのですね。岩淵宿はこれに備える宿場でした。

ということで
岩淵宿のご紹介でした。

最後に
かつての家並みは残っておらず、宿場だったことを感じさせてくれるものは少なくなっていますが、道は当時の道筋とあまり変わらない状態で残っています。実際に自分で歩いてみて、そのなごりを感じてみる。地味ながら、なかなか奥深い探索となりました。

拙ブログにお付き合い頂きありがとうございます。

■参考及び出典
・各所現地説明板(北区教育委員会)
・岩淵八雲神社説明板(  〃   )
・Wikipedia:2021/7/18



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posted by Isuke at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 街道・古道
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