今回は北関東の商都として発展した栃木市の話です。この町は舟運で栄えますが、そのきっかけは徳川家康の存在と深く関係しています。
■巴波川の舟運■うずまがわ
利根川水系渡良瀬川支流の巴波川
まずこの漢字ですが『うずまがわ』と読みます。この街の繁栄とは、切っても切れない重要な川です。巴波川の舟運は幕末から昭和初期にかけて特に発展しました。蔵の立ち並ぶ景色はそのなごりです。
家康と関係なさそう?
幕末から昭和初期の繁栄は直接的には関係ありませんが、そもそもこの地が舟運の拠点となるきっかけは、江戸時代の初期まで遡ります。
徳川初代将軍の家康が日光に祀られていることは有名ですね。家康の棺を日光山へ移動する歳に、これに付随する大掛かりな荷物などが巴波川を通ってこの地に運ばれたそうです。そして、その後の将軍家の日光参拝の時も、荷物はこの地の河岸に陸上げされました。これらを背景に、栃木は物資の集散地として江戸との交易が盛んになったそうです。
舟運の街
■例幣使街道■
水運のための川と並んで、街道の存在も町が形成される過程に大きく影響しました。
<保存地区>
こちらは伝統的建造物保存地区の入り口付近。パネルで通り沿いの建造物が紹介されています。どれも立派です。
<入口>
ここから始まるようです
<日光例幣使街道>れいへいしかいどう
例幣使街道と記されています
れいへいし?
例幣使とは神社に幣帛(へいはく)を奉るため朝廷から遣わされるいわば使者のことです。
京を出た例幣使は中山道を通って東へ進み、上野国の倉賀野(くらがの=群馬県高崎市)から下野国の楡木(にれぎ=栃木県鹿沼市)へ繋がる街道を経由して、徳川家康が祀られている日光東照宮へ向かいました。東照宮の四月大祭に合わせての勅使派遣は1647年に始まり、以降1867年(慶応3年)まで途切れることがなかったそうです。
使者は数人?
そうではなく、約五十人規模(もっと多い場合もあり)だったようです。いわば団体さんです。庶民的な言い方をすれば、行った先でおカネを落としてくれる団体旅行客です(表現がラフですみません)。栃木は例幣使街道の宿場町となったことで、発展に拍車がかかりました。
<例幣使街道沿い>
朝廷の使者団も通った道です
ということで
やがて『蔵の街』となる栃木の繁栄のきっかけには、日光東照宮に祀られた徳川家康の存在が大きく影響しているというお話でした。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
■訪問:
伝統的建造物群保存地区
[栃木県栃木市嘉右衛門町]
■参考及び出典
・Wikipedia:2021/7/22
・栃木市ホームページ
国選定重要伝統的建造物群保存地区
https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/5/1568.html
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2021年07月22日
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