今回は宿場の問屋場についてです。
訪問先したのは北区岩淵町。岩淵は古くからの交通の要衝であり、江戸時代には日光御成道の最初の宿場町でした。宿場と言えば字の通りでまず宿を想像しますが、それ以上に盛んだったのが問屋場としての業務だったようです。
<石碑>
岩槻街道岩淵宿問屋場跡之碑と刻まれています。
問屋場?問屋さん?
岩淵は街道が通っている上に荒川に面した場所。陸運・水運ともに有利で、多くの物資が集積する町でした。よって、いわゆる問屋さんを想像しがちですが、宿場における問屋(といや)はちょっと意味が違うようです。
問屋(といや)とは『江戸時代の街道の宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところで、駅亭、伝馬所、馬締ともいった』とのこと。『』内はWikiさんからの抜粋です。
旅路をサポートする重要な役割を担うわけですね。人足や馬を用意し、次の宿場までの手助けなどの労務を、周辺の地元民に課したりする業務を行っていました。ほぼ役人?のような印象ですが、宿場町とその周辺の村々が、こういった役割を担うのは普通のことだったようです(実際の苦労は別にして)。いずれにせよ、かなり重要な任務です。
宿場町で重要な役割というと、まず『本陣』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。宿泊施設の提供を中心とする役割ですね。本陣と問屋場、これが江戸時代の宿場の中核機能だったことは間違いありません。どちらも地元の有力者が務めたようですが、両方を兼ねることも結構多かったようです。
<問屋場跡>
左の道路は岩槻街道(日光御成道)。かつてここが宿場だったことを感じさせてくれるものは少なくなっています。目立つ石碑ではありませんが、貴重な目印ですね。
■訪問
岩淵街道岩槻宿問屋場址之碑
[東京都北区岩槻町]26-9
2021年07月10日
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