<赤坂見附跡>あかさかみつけ
赤坂の見附跡です。見附とは簡単に言えば見張り役が常駐する城門のこと。ここはかつて江戸城の城門がありました。
駅は有名ですが、いわゆる「赤坂見附」へ行かれた方は少ないのではないでしょうか?
行く必要がない……
まぁ普通そうかも知れませんが、駅からそう遠くないところで城のなごりを感じられる場所ですので、ちょっとご紹介させて頂きます。
ここ赤坂見附も四谷見附などと並んで江戸城三十六見附の一つ。重要な城門でした。複数の家が作業を分担して完成させたようですが、赤坂見附の石垣部分はあの黒田家によって築かれました。
これで終わり?
はい。
ただまぁここまで来たら、すぐそばの外濠も見てみましょう。
<弁慶橋>
立派な橋が目の前に現れます。その名も弁慶橋。義経と弁慶の出会いを想像してしまいますが、江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作ったので、弁慶橋と名付けられたそうです。
ここは港区元赤坂 と千代田区紀尾井町の境界。ちなみに、紀尾井町(きおいちょう) の名は、この一帯に紀州と尾張の徳川家、そして井伊家の屋敷があったことに由来します。つまり、やんごとなき人たちのお屋敷街だったということですね。で、今でこそ歩いて渡れますが、江戸時代には濠を渡れる橋はありませんでした。
橋が架けられたのは明治22年。あら?棟梁の弁慶さんと時代が合いませんね。
弁慶橋そのものは、神田の鍛冶町から紺屋町・岩本町辺りを流れる川(藍染川)に架かっていました。
明治になって弁慶橋が廃橋となり、ここに移設されたとのこと。もっと詳しく調べてみると、どうも移設というより、解体した廃材を再利用して橋が架けられたという方が実態に近いかもしれません。もともとの弁慶橋とは形状は異なるものの、その名前が使われたようです。
いい意味で名前が残るのは名誉なことですが、職人の気質を考慮すると、弁慶さんは「こんなのワシの仕事じゃねぇ!」とか天国で言ってたかもしれませんね。
(現在は更に鉄筋に生まれ変わってます)
<江戸城外濠のなごり>
赤坂見附跡の付近では、旧江戸城の外濠がほぼ原形を留めて残っています。埋められずにすんだ外濠です。
緑に囲まれ昔の雰囲気を残す濠。都内に残る貴重な江戸城のなごりです。
<外堀通り>
赤坂見附駅付近の外堀通り。その名の通りで、江戸城のかつての外濠に沿うように道が通っています。のどかな外濠跡とは対照的に、都会の中の都会です。慌ただしく通り過ぎるのが当たり前のような街の景色ですが、ほんのちょっと、この外堀通りを渡るだけで、時空を越えたような別世界と出会える場所なのです。
■訪問:赤坂見附
[東京都千代田区紀尾井町]
お城巡りランキング
2017年04月15日
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