<浮間氷川神社>
荒川流域に多く分布する氷川神社。かつての荒川はこの付近で大きく蛇行し、周辺に広がる湿地はたび重なる洪水に悩まされていました。村の鎮守であり続けたこちらの氷川神社は、盛土の上に鎮座しています。
■川のなごり■
<浮間舟渡駅>うきまふなど
今回下車した駅は埼京線の浮間舟渡駅です。駅名は地名の浮間と舟渡を合わせたもので、更に細かいことをいうと浮間は北区で舟渡は板橋区。つまり区にまたがった場所に位置する駅なのです。この一見どうでも良い話が、荒川のかつての蛇行と関係しています。
<区境>
下車して目的地へ向かう途中、道路を撮影。工事の管轄が違うからでしょうか。区境に線が入っています。向こうに見えている池も、この線の延長線上が北区と板橋区の境になります。
<浮間公園>
目的地到着。といっても改札を出てから徒歩1分です。
<浮間ヶ池>
この大きな池がかつての荒川のなごり。蛇行する荒川はかつてここを流れていました。そのままなら、川がかつての村境、そして区と区の境だったわけですね。
ところで、いろんな野鳥がいることで有名な公園ですが、なんとカモメが沢山いるではないですか。海からはけっこう離れていますがね。荒川沿いを内陸へ向かって移動してきたのでしょうか?ちょっと不思議な光景でした。
<風車>
風車はこの公園のシンボル的な存在です。花も見応えがある公園なのですが、私の訪問は1月下旬のためちょっと地味に映りますかね。私の関心事は花より左手の土塁。これは昔の堤防をそのまま残したのでしょうか?調べたもののはっきりしないので、勝手にそう思うことにしました。
<説明板>
ちょっと疲れた説明板ですが、充分読み取れます。浮間ヶ池が荒川の一部だったこと、現在の荒川は公園北側の土手の向こう側を流れていることなどが記載されています。洪水が多かったようですね。この対策として着手された流路変更の大工事は、明治44年から昭和5年にかけて行われたようです。
<別な説明板>
こちらは別の説明板の地図。昭和3年とありますから、改修工事の途中の地図ということですね。大きく南に蛇行していた荒川の流路が、北側で直線に変えられているのがわかります。『浮間』の名は、川に突き出た地形が浮島のように映ったことに由来します。地図を見る限り、まさにそんな感じだったのでしょう。お隣の『舟渡』も水辺を思わせる名。地名は貴重な手がかりですね。
<公園北側>
公園の北側は荒川の堤防になっています。
<堤防>
高いなぁ。まぁせっかくだから登ってみますかね
<荒川>
堤防の上です。昔の荒川は幅が狭いうえに蛇行が多かったようですが、今は幅広でまっすぐ。川の向こうに見えてるのは川口市の高層ビルです。この巨大な堤防により遮断され、浮間ヶ池が再び荒川と交じり合うことはありません。
■低湿地のなごり■
工事前は荒川の氾濫に悩まされた浮間。いまでは湿地の面影もありませんが、冒頭にご紹介の神社にそのなごりを確認し、今回の探索の締めとしました。
<浮間氷川神社鳥居>
創建時期は不詳ながら、江戸時代には浮間村の鎮守だったと伝わります。
洪水の多い低地では、周辺より高く盛土をして倉など設けておく水塚(みづか)の跡をみかけることがあります。ここ浮間の鎮守は、水塚の上に鎮座しています。
<浮間氷川神社拝殿>
水害が多かったであろう村の神社です。想像ですが、緊急時には避難場所にもなっていたのかもしれませんね。
ということで
荒川の古い流路とかつての湿地を散策したというお話でした。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
■訪問:
浮間公園〔浮間ヶ池〕
[東京都北区浮間]2丁目
[東京都板橋区舟渡]2丁目
浮間氷川神社
[東京都北区浮間]2丁目19-6
-----------(追 記)-----------
桜の時期に再訪した浮間公園の画像を貼っておきます。
地元の人たちの憩いの場です
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