川崎市に残る古い山城を訪ねました。
<枡形城本丸跡入口>
■ 枡形山 ■ますがたやま
多摩丘陵の一角に位置する生田緑地。今回訪問の城跡は、この緑豊かな広大な敷地のなかにあります。最寄駅は小田急線の向ヶ丘遊園駅。目指すは緑地内の枡形山です。
<地図>右側が北
駅から生田緑地へ向かう途中に地図があったので撮影。地形がよく分かります。中央の赤字が現在位置です。多摩丘陵と多摩川の間に今いるわけですね。大昔なら低湿地、あるいは川の氾濫域だったのかもしれません。
<二ヶ領本川>
こちらは川崎市が誇る歴史ある用水路の一部なんですが、長くなるので今回は省略します。ここ渡って生田緑地を目指します。
<生田緑地入口>
目的地にほぼ到着。川崎市内最大の緑地への進入口です。枡形山への登場口はここからすぐそばです。
<枡形山入口>
ありました。ここから登ります。山の東側から頂上を目指すコースです。
<案内板>
こちらのコースはやや勾配がきついですが、しっかりとした登山道が整備されていますし、途中にベンチもあります。ゆっくり登れば大丈夫。この山には長く長くのびた緩やかな尾根といったものは無く、頂上付近は四方が断崖のようになっています。枡形という名は、こうした地形に由来すると考えられています。
<登山道>
梅雨の真っ只中。この日も雨でしたが、目に優しい緑に癒され、特に苦も無く登ってゆきました。
<山中>
苦も無くと言ってもそんなに楽ではない。でも普段運動不足のオッサン(私です)にはいい試練です。
<まだ続く>
ここはあくまで川崎市です。貴重な緑ですね。
<平らな区画>
本丸と言われる頂上の手前で、平らな区画を見つけました。昔の曲輪のなごり?かとも思いましたが確証はありません。
<板塀>
まもなくゴール。右手の城を模した壁の向こうが桝形山の頂上です。
■ 鎌倉幕府御家人の城 ■
今回訪問の枡形城は、稲毛三郎重成により築かれたとされています。重成は源頼朝に仕えた御家人。桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族で、現在の川崎市高津区・中原区付近を領して、稲毛氏を名のりました。父は小山田氏の祖となる小山田有重、いとこは坂東武士の鑑とまで称された畠山重忠、妻は北条政子の妹です。これだけでも凄い人物だと伝わってきますね。更に主要な合戦で活躍した実績もありますので、幕府の中枢にいた御家人と思って良いですね。桝形城はその居城であったというのですから、当時としては重要な城。そしてそうとう古い城ということになりますね。
いまの桝形山の状態からどこまで想像して良いのか分かりませんが、時代背景も考慮すると、桝形城はあまり複雑な構造の城ではなかったような気がします。要害の地を選び、頂上を平坦に造成し、あとは適所に小規模な曲輪を配置した。そんなシンプルな山城だったのではないでしょうか。
<冠木門>
枡形門を名乗っていますが、いわゆる城用語でいう枡形門の構造にはなっていません。
<入口付近>
あるいは、昔は枡形だったとか? ここでいう桝形とは、入口を壁などで囲った四角形の区画のこと。この城は、独特の地形を指して桝形と呼んでいたようなので、あまりそこに拘らないほうが良いですかね。
<盛り土>
門の横の盛り土は?土塁跡でしょうか(違うと思います)
<山頂の碑>
海抜八十四米と刻まれています。山頂は平坦。東西130m、南北80mとのこと。結構広いですね。桝のように四角い平地となっています。
<展望台>
エレベーター付きの展望台。ちょっと城を意識したデザインなのでしょうか。
<枡形城址の石碑>
地形に納得したものの、それらしい遺構は確認できなかったので、こういう石碑があるとホッとします。
城内はだいたいこんな感じです
■ つわものどもが夢の跡 ■
鎌倉幕府の中枢といっていい稲毛重成の居城。戦国初期には、山内上杉氏討伐を目論む北条早雲がこの城に入ったという話があります。また、武田信玄の小田原攻めに際しても利用されたとのこと。これらの話の詳細はわかりませんが、四方が険しく低地に川を望むこの枡形山なら、いつどの時代に陣城として使われても不思議ではないと思えました。
<つわものどもが夢の跡>
雨天ながら、気持ちの良い訪問となりました。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
----------■ 枡形城 ■----------
別 名:枡形山城
築城主:稲毛重成
築城年:(鎌倉時代初期)
城 主:稲毛重成
廃城年:詳細不明
[神奈川県川崎市多摩区枡形]
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