吉良氏から奥沢城を任された大平出羽守ゆかりの地を訪ねました。
■奥澤神社■
<奥澤神社>
世田谷区奥沢の奥澤神社です。
創建の時期は明らかではありませんが、世田谷城を居城とする吉良氏が奥沢に城を築いた頃と考えられています。城を任された家臣の大平氏が、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請した。これが現在に続く奥澤神社の始まりと考えられています。
<鳥居と大蛇>
これは目立ちますね
<藁で作った大蛇>
江戸時代中期頃から、厄除としてこの大蛇を抱えて練り歩く行事が行われるようになったそうです。いまでも「大蛇お練り行事」として続いています。この地の伝統となっているわけですね。
■奥沢城■
<奥沢城跡>
当ブログでも何回かご紹介させて頂いた奥沢城跡です。吉良頼康により築かれ、家臣の大平出羽守が城主をつとめました。世田谷城の出城的な存在。築城者を大平出羽守とする説もあります。大平氏はもともと地元の有力な土豪。戦国期に吉良氏の家臣に加わり、耕地の開発などで力を発揮しました。
<土塁跡>
城のなごり。低湿地の台地に築かれた平城を、ほぼ方形に取り囲んでいた土塁の跡です。
<九品仏浄真寺>
戦国末期、吉良氏は北条氏の勢力に組み込まれていました。豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡すると、奥沢城は廃城。跡地に浄真寺が創建され、現在に至っています。
<境内>
深まる秋
■帰農■
吉良氏の家臣としてこの地を任された大平出羽守。その間、娘・常盤姫が吉良頼康の側室となりながら亡くなる悲劇もありました。そして1590年の小田原北条氏滅亡。主君である吉良氏は下総国に逃れました。では大平出羽守はどうしたのでしょう。
元々地元の土豪だった大平氏。この地に留まり、等々力で帰農しました。地元の名主と伝わります。
■つわものどもが夢の跡■
名門家の配下となり、世田谷周辺の村々を任された大平出羽守。この神社は、領内の更なる発展に思いを馳せた大平出羽守の夢の跡なのかも知れませんね。
<奥澤神社本堂>
[東京世田谷区奥沢]
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--------(追 記)--------
奥沢城については別途まとめています。城跡ブログのつもりで運営しておりますので、良かった覗いてみて下さい。『鷺草伝説』として語り継がれる大平出羽守の娘の悲話についても多少触れさせて頂いています。
2018年07月01日
記事→『奥沢の城跡』
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