アフィリエイト広告を利用しています

2018年12月04日

町火消「め組」の供養碑 増上寺

つわものどもが夢の跡
今回は江戸の消防団として活躍した「め組」の話です。

<供養碑>
shirononagori287 (2).JPG
増上寺境内に設けられている町火消「め組」の供養碑です。徳川家の菩提寺として知られる寺の境内に、町人の供養碑があることが意外でした。

■町火消■まちびけし
火消は言うまでもなく消防の任務についていた者達ですね。密集した江戸の町の悩みの種だった火事。大惨事になったこともあります。町火消は心意気のある者達が集まって、勝手にやっていた?訳でなく、幕府の定めた制度のもとで運営されていました。

武士によるものを武家火消というのに対し、町人によるものを町火消と呼びました。江戸初期は武士が主体でしたが、中期以降は町火消が主体となって活躍。いちいち上層部の認可が必要な武士階級より、民営化した方が効率が良かったのかもしれませんね。町火消の大半は鳶職で構成されていました。当時の消防は、火が燃え広がらないように「建物を壊す」方法が主流でしたから、並みの町人より、力強い鳶職が適役だったのでしょうね。

■め組■
町火消の始まりは8代将軍吉宗の時。南町奉行の大岡忠相(ただすけ)により、火消の組織化が成されました。隅田川から西を担当するいろは組47組(のちに「ん組」が加わり48組)と、東の本所・深川を担当する16組(のちに3組に統合)に分けて町火消が設けられました。

吉宗、大岡越前、め組。『暴れん坊将軍』を思い出す方も多いかと思われます。まさにその時代のお話です。

■め組の喧嘩■1805年3月
これは江戸時代に実際に起きた町火消しと力士の乱闘事件です。芝神明宮境内で開催中の相撲の入場を巡ってトラブルになり、これを発端に双方が徐々にエスカレートして、最後は大乱闘に至ったというものです。屈強な鳶職が多いといっても、よりによって力士と戦わなくてもと思いますが、その辺りが気質を現わしているのかも知れませんね。『火事と喧嘩は江戸の華』などと言ったりしますが、め組はその両方を地でいった男達なのかもしれませんね。

<め組のけんか>
shirononagori287 (4).JPG
芝大門の近くで撮影

で、この喧嘩に対する町奉行のお裁きや如何に?これには相撲興行を取り仕切る寺社奉行、更には勘定奉行まで加わって協議がなされたそうです。結果はめ組に厳しいものとなりました。そもそも喧嘩の原因は、入場無料の「め組」の二人が、知人まで境内に連れ込もうとした事。更に、緊急時しか使用が認められていない火の見櫓の早鐘を、喧嘩で鳴らしており、これらの事実を元に、裁きが言い渡されたようです。め組は二人が江戸追放で他は罰金。比較的軽い罰で済んだようです。力士は江戸払いが一人、他はお咎めはなしでした。ちょっと変わった裁きが、この時に鳴らされた小型の鐘が遠島となっています。

<芝神明宮のいま>
shirononagori287 (8).JPG
現在の芝神明宮。増上寺のすぐそばです。伊勢宮の分霊を祀っていることから、「関東のお伊勢さま」として親しまれてきました。明治以降は芝大神宮と呼ばれています。

<拝殿>
shirononagori287 (5).JPG

<め組>
shirononagori287 (6).JPG
この界隈はめ組の管轄でした。左右の狛犬の足元、台座にしっかりと『め組』の名が刻まれています。

<境内の力石>
shirononagori287 (9).JPG
力石は力競べのための重い石のことですね。境内のこの力石は、芝大神宮で行われた興行で、力士・藤吉が片手で持ち上げたものとされています。五拾貫余?50貫は約190キロになります。それを片手で!凄いですね。
め組の喧嘩を意識し過ぎて、江戸時代の力士?と思い込んでしまいましたが、後で調べたら藤吉(通称は「金杉の藤吉」)は明治時代の力士とのことです。ただ、神社と相撲と庶民が、いまよりずっと近い距離だったような雰囲気は味わえました。

<芝大神宮>
shirononagori287 (7).JPG
[東京都港区芝大門]

■つわものどもが夢の跡■
<供養碑>
shirononagori287 (3).JPG
増上寺の境内は史跡が多く、見どころ満載。その中にあって、この供養碑はちょっと地味です。ただ、当ブログがきっかけで立ち止まってくる人がいたら嬉しいです。江戸の町を悩まし続けた火事。これに命掛けで立ち向った者達の供養碑です。

<増上寺>
shirononagori287 (1).JPG
[東京都港区芝公園]


お城巡りランキング
タグ:23区
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8358200
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 真田の城 上州沼田城
  3. 3. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  4. 4. 高遠城のなごり
  5. 5. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  6. 6. 矢之門から帯曲輪へ(白河市)小峰城
  7. 7. 小峯御鐘ノ台大堀切のなごり(小田原城)
  8. 8. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  9. 9. 金沢城のなごり
  10. 10. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  11. 11. 暗渠と城跡34 渋取川と蓮上院土塁(小田原市)
  12. 12. 高天神城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)