<蝉坂>せみざか
既に江戸時代にはそう呼ばれていたそうです。この蝉坂という名は、かつて太田道灌が攻め上った坂、つまり「攻め坂」から転訛したものと伝わっています。
<平塚城跡>
この地は道灌により滅ぼされた豊島氏の居城跡と考えられています。
<平塚神社>
城跡は現在平塚神社となっています。源義家、源義綱、源義光が祀られています。そもそも平塚という地名の由来は、源義家から授かった鎧を城の守り本尊として埋めた低い塚とのこと。
<平塚城伝承地>
豊島氏代々の居城であったが、太田道灌に攻められ落城とあります。
道灌が攻め上がった坂。なんとなく納得ですね。
<攻め坂>
以前ここ平塚城を散策した際、この坂は城の脇を流れる川であったのだろうと感じました。つまり天然の堀ということですね。しかし道灌がまさにここを攻め上がったとしたら、川なんてことはあり得ませんね。
蝉坂の存在を知り、長らく信じてたことが吹き飛ばされてしまいました。まぁ趣味で城跡巡りをしている素人の妄想なんて、そんなものなのかも知れません。
ということで
道灌ゆかりの坂のご紹介でした。
■訪問:蝉坂
[東京都北区上中里]1-47
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--------(追 記)--------
豊島氏の平塚城跡については、以前投稿させてもらっています。良かったら覗いてみて下さい。太田道灌vs豊島氏について、もうちょっと言及させてもらっています。
2017年03月11日
記事→『豊島一族の城跡 平塚城』
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