<石碑>
「山吹の里」に関する史跡です。裏は現在工事中のようです。白い壁が無機質ですが、石碑には重みがありました。
<山吹之里>やまぶきのさと
深く刻まれた「山吹之里」は良いとして、周辺の細かい文字が気になりましたが読めず
<半跏思惟像>はんかしゆいぞう
思索にふけるお姿ですが、詳細わからず(弥勒菩薩?)
<説明板>
えっとそうですか。この碑に使われている石は1686年に建立された供養塔の転用だそうです。ちょっと不思議な感じがしたのはその影響でしょうか。
<神田川>
石碑の場所は神田川沿いです。新宿区には山吹町という地名がありますが、そこよりちょっと西側になります。現地説明板によれば『新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は通称「山吹の里」といわれています』とのこと。
<面影橋>
面影橋の近く。川の北側です。都電荒川線・面影橋駅もすぐ近く。雨のせいか人影もまばらでした。
<面影橋の説明板>
鎌倉街道沿いにあり、姿見橋ともいわれていました。歌人の在原業平が鏡のような水面に姿を映したためなど、その名の由来には諸説あるようです。いずれにせよ、この地にはむかしから橋があったのですね。
■ 山吹伝説 ■
ちょっとラフですが簡単に言えば
『鷹狩に出た道灌がにわか雨にあい、蓑を借りるべく農家を訪ねた。しかし出迎えた娘は和歌とともに山吹の一枝を差し出すだけで蓑は貸してはくれなかった。若い道灌はこれに腹を立てたが、あとになって和歌に込められた意味を知り、己の無知を恥じた。そしてその日を境に和歌を学んだ。』
といった感じですかね。和歌は
七重八重 花は咲けども山吹の
実の一つだに なきぞ悲しき
(ヒント) 実の⇒蓑
山吹の花は七重八重に咲くのに
実が一つも結ばないのは不思議です
実はこの伝説に関する史跡はあちらこちらに存在しています。都内だと荒川区、横浜市の金沢区、そして埼玉県越生町など。当然ながら、どの場所も「ここが山吹の里ですよ!」と主張しています。
本当はどこ?
議論は尽きません。ただまぁ、自分がそうだと思う場所で良いのではないでしょうか。私個人は、道灌の出身地と思われる埼玉県越生町が一番相応しいと思っています。
ちょっといい加減?
そうともとれますね。ただ、そもそもこの伝説自体の真偽も曖昧で、生まれた場所にも諸説あるのです。大切なことは、太田道灌がそのような人物として語り継がれているということ。そこには「こんなステキな人がいて欲しい」という我々日本人に共通の美意識のようなものが込められているのではないでしょうか。
この日はあいにくの雨。でもこの場所を訪れるには相応しい天気なのかも知れません。蓑はありませんが、しっかり傘をさして訪問しました。
■訪問:山吹の里の碑
[東京都豊島区高田]1-18-1
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■当ブログ過去記事■
<山吹の里公園>
[埼玉県入間郡越生町西和田]
ヤナブキの花の時季をねらって、同じく山吹伝説の地である埼玉県越生町を訪問した時の記事です。宜しかったら覗いてみて下さい。
2017年04月22日
記事→『若き日の道灌の逸話』
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私は出身高校付近から戸山を回って行こうと目論んでいました。が、しかし、雨のため行くのを止めてしまいました。